19時00分~21時00分は、藤沢長後道場(長後公民館体育室)の稽古でした。新規入門者紹介をしました。

 「基本形の日」という事で、小林志光師範を講師にして、平安三段を行いました。

 21時00分~21時45分は、同所で「自主稽古」でした。

 

 さて、タイトルの件ですが、「基本形の日」を開催していますが、当会は糸東流系ですので、基本形二という事になります。

 教範である『空手道教範 基本形』(2016年 7月 4日発行)の冒頭で笹川堯(ささがわたかし)会長の言葉がありますので、転載します。

(転載開始)

 空手道が武道として大きな発展を遂げたことは、素手による攻防で絶妙な動きの中で行う格闘技としての「組手」の魅力だけでなく、あらゆる攻防の場面を仮想して、余分な技を省き繰り返し励む「形」の両方を練磨するという技術体系によります。

 形は空手道の母体であると言われています。形を繰り返し修練することは、どんな技の変化にも対応出来る俊敏にして強靭な身体をつくり、礼儀を重んじた謙虚な態度や何ものにも臆さない精神を養う事につながります。

 全空連では、現在公式競技会や昇段審査会において演じる事を義務付けている全空連指定形を制定する以前の1891年、広く空手道の形の継承と普及を目的として刊行された『空手道指導書』において、平安初段から五段、鉄騎、三戦、撃砕Ⅰ・Ⅱを「基本の形」として示しておりました。

<小林志光注:ここで言う「平安初段から五段」は糸東流の形です。>

 この度、全空連ではこれまでの「基本の形」を全面的に見直し、指定形の基礎となる基本の形を全空連が定める「基本形一、二、三、四」として制定し、『空手道教範 基本形』として発行することといたしました。これをもって、基本形、第1指定形、第2指定形、得意形という形の競技体系を確立し、長年受け継がれて空手道の形の継承に努めるものとします。」

(転載終了)

 基本形一、二、三、四は流派別に見ますと以下の通りとなります。

  基本形一 剛柔流  ゲキサイ第一・ゲキサイ第二

  基本形二 糸東流  平安初段~平安五段

  基本形三 松濤館流 平安初段~平安五段

  基本形四 和道流  ピンアン初段~ピンアン五段

 なお、基本形二の平安二段が基本形三の平安初段に、

    基本形二の平安初段が基本形三の平安二段に、

 該当します。

 違いの理由ですが、松濤館流が最初に教える形という事で、従来の平安二段を平安初段に名称変更した為です。当然ですが、今までの松濤館流の平安初段は平安二段となりました。ちょっとややこしいですが、しっかりと理解してください。

 

 また、それぞれの基本形の冒頭には、その謂れが書かれています。基本形二の所を引用します。

(転載開始)

 全空連基本形二、三及び四はいずれも、糸洲安恒先生が1905年(明治38年)頃、公相君の形を主体として様々な形の要素、更に自己の研究の成果を取り入れ、教育的、体育的、更には空手道を広く普及する意味合から創作されたと伝えられている平安の形の原点である。基本形二は、糸洲先生から糸東流の流祖摩文仁賢和が引き継いだ形である。                                                 

 基本形二の形には、糸東流の基本的な立ち方、受け技、攻撃技等が網羅されており、空手道の基礎的な部分を習得する上で重要な役割を果たしている。その為、正しい動作を繰り返して練習する事が大切である。また、演武を行う時は無駄な力を抜き、必要以上に大きな動作を行わない事が大切である。

 基本形二には平安の形が初段から五段まで五つの形があるが、難易度の点から、二段、三段、初段、四段、五段の順序で習得する事が一般的である。

 この形の修練で習得した技が、第一指定形のバッサイダイ、第二指定形のマツムラローハイの正確な演武に繋がる。                                                                       

(転載終了)

 もともと糸洲安恒先生の形は平安と書き「ピンアン」と称されていた様です。糸東流と和道流はそのままピンアンを使用していましたが、松濤館流は形(型)の名称を「日本流」にする過程でピンアンを平安(へいあん)と称する様になりました。糸東流も同じ様に呼び方を変更しました。多分、時代的には後の事だと思います。和道流は、そのままの呼び方を継承しています。