「なに、これ・・・」
目の前にいる猫塚の言っていることが、何一つ理解できない。鍵って、何で私が持ってるの?時間を止めるってなに?そんなことできるわけないじゃん!そもそも何で猫塚が私の母校にいるの?
ぐるぐるぐるぐる考えても、世里子にはわからなかった。懐かしいはずの校舎も教室も、何だか不気味に思えた。
そんな世里子を見ていた猫塚は、灰色がかった目をするだけで何も言わないでいる。ただ椅子に座り、ただ、そこにいた。
「わかった、わかったよ、猫塚さん。私はあなたたちの世界に入り込んでしまっている。来るつもりはなかったの、ごめんなさい。そして、あなたは時間を自由に操ることができる。そうでしょ?えっと、それから私も時間を止めることができる。これで全部?あなたが言いたいことは、これで全部なの?」
世里子はできるだけ落ち着いて喋ったつもりだった。こんな状況で落ち着くほうが馬鹿げてるような気もしていたけれど、それは言わずに飲み込んだ。
「一つだけ・・」
猫塚が口を開いた。
「一つだけ、あなたは守らなければいけないのです。」
猫塚の目は、変わらず不気味な灰色をしている。
「世里子さん、あなたも私同様選ばれてしまった人間の一人なのです。それを望む者は決してなれないのです。私と世里子さんは選ばれてしまった・・・。」
一瞬、猫塚の目の色が灰色から哀しい青に変わった。世里子はそれを見逃さなかった。
「守らなければいけないことって、なに?」
この質問を受けた瞬間、猫塚はまた灰色になって言った。
「その質問をしてしまいましたね、世里子さん。」
世里子は内心ドキドキしていたし、この場所から走って逃げて家に帰ろうかとも思った。それができたらとっくにやっている。足がすくんで動かないのだ。だからせめて、聞こえないふりをしたかった。けれどそれもできない。何故か、聞きたくなってしまう。猫の目に誘導されているかのように。足は思うように動かないけれど、手は自由だ。
「この鍵・・・」
と言って世里子はポケットから鍵を取り出した。そして思いきり校庭めがけて投げた。
猫塚は動かない。大事な鍵なんじゃないの?取りに行かないの?猫塚が教室からいなくなれば、世里子は走れる気がしていた。そんな世里子の思いを見透かすように、猫塚は笑った。
「そんなことしても無駄なんです。実は私も同じことを考えたし実行しました。でも、全て無駄なんです。無駄なんですよ。」
世里子は嫌な重さをポケットに感じていた。ため息をつく世里子。灰色の目をした猫塚。普段は30人はいるであろう教室も、2人となると物悲しい雰囲気だ。
「わかった、もう逃げようなんて考えないよ。」
世里子は猫塚のすぐ隣りに腰かけた。少しひんやりしたけれど、今はそれが心地良かった。
「で、守らなければいけないことってなんなのよ?」

しかし、不思議とそこまで驚かなかった。

それよりも、校舎の中で誰かが自分を待っている気がしてならなかった。

世里子は誘われるがままに、スローモーションで去っていく子ども時代の自分を背にして校舎の入り口へと向かった。

15年前に卒業した時と何も変わらない入り口。

茶色い下駄箱にすのこ、入り口を入ってすぐ横に、よく授業をサボって行った保健室。

懐かしさを感じながら、相変わらずのスローモーションの中、ミシミシとなる階段を上り2階にある6年2組の教室の前にいつの間にか辿りついていた。

世里子はその扉を恐る恐る開けた。

すると、世里子の目に教卓の椅子に座るグレーのスーツの男の後ろ姿が飛び込んできた。

扉を開ける音に気づいたのかスーツの男は椅子をクルリと回転させ、ゆっくりと世里子の方に向いた。

「こんばんわ。世里子さん。」

<あっ>

思わず声が出た。

猫塚、彼だった。

教卓の椅子に脚を組み、肘掛にひじを置いて手を前で合わせて座っている猫塚は、我が家に来たときとは違う威厳さが漂っている。

「こっこんばんわ。」

そんな恐怖さえ感じる猫塚を見て、世里子は声が思わず上ずってしまった。

しかし猫塚は、戸惑う世里子を尻目に笑顔で言った。

「ようこそ。私たちの世界へ。あなたが来るのは3度目ですね。」

猫塚の優しい声を聞いているとさっきまで周りが自分がスローモーションで動いていたのに、この教室に入ってから普通に戻っていることに気づいた。

そんな世里子見て、猫塚は話を続けた。

「前にも1度お話したことがあるかと思いますが、今、私はこの世界の時間を止めています。先ほどまで世里子さんにはこの世界がスローモーションのようにゆっくりと動いていたかと思います。実はこの世界はある1部の人間によってだけ、自由に時間を操ることができるんです。」

そう話ながら、猫塚はズボンのポケットに手を入れ、光る何かを取り出した。

「これが時間を操る鍵です。世里子さん、あなたのポケットにも同じものが入っているはずですよ。」

世里子はブルーのジーンズのポケットの上に手を置いてみた。

そこには、さっきまでは無かった何かが入っている。

鍵だ。

恐ろしくスローモーションに景色は流れた。

風が木々を撫でるのも、軒先の犬があくびするのも、自分の脇を子供達が走り去るのも、全てがゆっくりとして、引き伸ばした写真のように輪郭がぼやけ、つかみどころが無かった。光も音も、全部がゆっくりと流れた。

片栗粉のプールに放り込まれたみたいに動きづらい。

世里子はそう思った。

同時に、これは夢の中なんだということもわかった。

(――リアルだなー・・・)

見覚えのある景色が広がっていた。

自分の通った小学校の風景だ。

灰色の校舎に緑のフェンスをかぶった自分の母校や、その裏にある幼馴染の2階建ての家。

校舎は3階建てで、どの窓にも白いカーテンが引かれている。

校舎脇の花壇には、雑草が山ほど群生していて、緑がアスファルトに栄えた。

(――すごい懐かしいわ)

そう思って、世里子はぐるりとあたりを見回した。

世里子が立っているのは、正門のサクラの木の下だった。

正門の前の家には、シロとクロという黒白の犬がいて、世里子の脇をスローモーションで通り抜けた子供達

は、その2匹に群がった。

全員がランドセルを背負っていた。

空は夕暮れで、もうすぐ日も落ちてしまいそうだった。

直感で、世里子は、この目の前にいるランドセルの子供達が最後の居残り組だとわかった。

世里子も、彼らくらいの歳に、よく学校に最後まで居座って、先生に無理矢理追い出された経験があった。

その時の空は、いつもこのくらいの赤をしていた。

それから、決まって、シロとクロと遊んで、そこをまた先生に見つかって、怒られた。

世里子は、少し迷ったあと、面白半分で子供達に声をかけてみた。

「はやく帰らないと、また先生に怒られるよ」

声を出すのも違和感があった。

やっぱり動きはスローで、言ったと思った後に、口が動き、声が耳に聞こえた。

(酔いそう!)

吐く前に、夢から覚めたいと思った。寝ながら吐くなんてまっぴらだった。

子供達は、世里子の声を聞くと、やっぱりゆっくりと振り返り、「ハーイ!」と元気に返事をして、走って行ってしまった。

でも、このときばかりは、夢がスローモーションでよかったと思った。

振り返った子供の顔をじっくり見ることができたからだ。

(――わ、ワタシ!?)

世里子は、子供達の中に、小学生だった頃の世里子を見た。


「ごめん、裕太。あたし頭が痛くなってきた。帰っていい?」 そう言うと世里子はフラフラと立ち上がり、机に足をぶつけたり壁に寄り掛かったりしながら その場を去った。 「ちょっと!姉ちゃん!帰るって、ココ自分ちだろ!なんだよ~!オレ一人かよ~!!」 裕太の声などまるで聞こえない世里子は、二人に聞こえるように大きな音をたてて自分の部屋の 扉を閉めた。まあ、オンボロな家なので、普通に閉めても音は聞こえるのだけれど。 さて、一人猫塚の前に取り残された裕太は何故か愛想笑いを浮かべていた。姉ちゃんはあんなに 負の動揺してるけど、オレはむしろ正の動揺だ!退屈な就活とクソみたいな日常から抜け出せるかも? なんてことを考えて、愛想笑いが本気笑いにいつしか変わっていた。 「裕太さん、何がそんなに可笑しいのですか?私にも教えて下さいよ。」 猫塚は名前のわりには愛想がいい。これも仕事か?と裕太は少しだけ警戒心を持ち直した。 「いや~、何事にも動じない姉があんなに動揺してんの見たの、保育園以来かな~なんて思ってたら 可笑しくなっちゃって。」 裕太が当たり障りのないことを言うと、猫塚の目が一瞬ある方向を見た。何かを感じた猫のように、 じっと一点を見つめる静寂。裕太が猫塚の視線を辿ると、そこは世里子の部屋だった。裕太は動けない どころか、どうやら声も出ない様子。猫塚は目を閉じて世里子の部屋から視線を外した。 「裕太さん、今日は失礼します。突然お邪魔して申し訳ありませんでした。」 猫塚はそれだけ言うと立ち上がり、一礼して去った。 裕太はしばらく何をすることもできなかった。立つことも、喋ることも、猫塚が帰ったことを世里子に 知らせることも。無理もない、猫塚がこの家を出る瞬間、裕太の顔を見て耳には聞こえない声でこう 言ったのだから。 「今夜きちんと世里子さんにお話ししておきますから。裕太さんはぐっすりお休み下さい。」 なんだよ、それ~!!!裕太がようやく正気に戻ると、世里子の部屋に走った。 扉を開けると、「寝てる~!!姉ちゃん、やばいって!寝たらやばいってば!!起きろよ!猫、さっき 帰ったんだけど、なんだかスゲ~怖いこと言ってた!だから寝るのはやばいんだよ~!」 どんなに裕太が大声を出しても、布団を剥ぎ取っても、世里子は一向に起きようとしない。と言うか、 死んでる?!と思うほど安らかに、ピクリとも動かないのだ。 「おいおい、マジかよ?新手の殺しか?!」なんて、裕太がアホなことを言って動揺している頃、 世里子は夢の中にいた。裕太が喋る声も聞こえたけれど、目を開けることも動くこともできない。 「ま、いっか。アホな弟よ、警察にだけは行くなよ。」と思い、今いる夢の世界を選んだ。

「で、猫塚さん。一体どういうことですか。」

世里子は相変わらず笑って、こちらを見ている猫塚に強い口調で言った。

「では、お話しましょう。裕太さんの6日前の夢に、確かに私はお邪魔しました。正確に言うと裕太さんが私たちの世界に入り込んできたという方が正しいでしょう。」

猫塚が話始めると、不思議なことに家中の音という音がなくなった。静寂というのは、まさにこのこと言うのだろうと世里子は思った。

「世里子さん。あなたも以前、私たちの世界に入り込んできたのですよ。私に会ったことがある気がしたんじゃありませんか?私たちの世界に入り込んできたとき、世里子さんと私はお話しましたから。」

猫塚の話に世里子は混乱した。

確かに、この猫塚という人物には会ったことがある気がしていた。

だから猫塚の方が私を知っていてもおかしくはない。

しかし、彼の言う『私たちの世界』とはどこなのだろう。

私はその世界に何の関係があるのだろう。

それに関しては思い出そうとしても思い出せない。

困惑した顔で世里子は隣にいる裕太をみた。

さっきまであっけらかんとしていた裕太もさすがに困惑しているようだ。

「確かにあなたには会ったことがある気はしていました。ですが、あなたの言っている『私たちの世界』に行った覚えはありません。一体、あなたたちの世界とはなんなんですか。どう私たち兄弟に関係があるんですか。」

もう世里子にさっきまでの勢いはなくなっていた。

「アホなこと言ってないで」

と、世里子が雄太に苛立ちをぶちまけようとしたところで、「あ」と雄太が自分の背後を指差した。

なに。と振り返ると、灰色のスーツの男は嬉しそうに立ち上って、手を叩いている。

拍手だ。

「正解です。いや、正解ですが90点の正解です」

嫌な閉塞感だ。どうしてだろう、コイツがいるだけで眉間に皺がよる。

今は鏡を見たくないな。世里子は思った。

そんな世里子と正反対に、雄太はあっけらかんとしていた。

「へえ、正解だって、姉ちゃん。なんか嬉しいね」

「喜ばないでよ!」

「そうだね、満点じゃないしね……、10点分、何がマイナスなんですか?」

「そんなこと聞いてどうするのよ!」

「次の面接の役に立つかなとか思って」

「立たない!」

世里子の眉間にはますます皺がよって、今にも雄太に噛み付きそうな勢いだったが、灰色のスーツの男はずいぶん穏やかに笑っていた。

「5日前、君はそう言いましたけど、本当は6日前ですよ」

「あー、ニアミス」

「ケアレスミスです。だから10点マイナス。面接の役には立ちそうですか?」

「ハハ。いや、全然」

だから言ったじゃない、と内心呆れる世里子の後ろで、雄太はぼりぼりと頭を掻いた。

「そうですか、お役に立てなくて申し訳ない。それじゃあ代わりにこれを」

男はスーツの内ポケットからごそごそと名刺を取り出して差し出した。

「名刺ならさっき頂きましたよ」

世里子が不機嫌に言うと、男が怯むことなく笑って言った。

「いやいや、あれは私の本当の名刺じゃありませんから」

一瞬呆気にとられたあと、世里子は今までこんなにも深い皺を寄せたこともないくらいに眉間に皺をよせて男を見上げた。

「すみません。ちょっとしたテストですよ」

失礼な話だ!

気に食わない!

世里子は乱暴に男の差し出した名刺をひったくってさっと目を通した。

上からは雄太が覗き込む気配がする。

「猫塚央……?」

「はい。本名ですよ。そんな怪訝な顔しないでください」

それは無理な注文だ、と思いながら、名刺と男の顔を交互に眺め、何回か繰り返したあと、

「あげる」

と名前だけしか書かれていない名刺を雄太に渡した。

「なんかの役にたつかもよ」

「え、ああ、ありがとうねえちゃん。頂きました、猫塚さん」

と言ってぺこりとお辞儀をした。

世里子は目の前でニコニコしている男がまるで存在していないかのように、何の断りもなく雄太の元へダッシュした。世里子が走ると、このオンボロ極まりない家は地震でも起きたかのように全ての部屋が揺れた。
二階の雄太の部屋に辿り着くと、いきなりドアを開けた。そしてハアハア言ってる自分の呼吸を整えてからできるだけ平静を装って聞いた。
「あんた、あの男知ってんの?」
雄太は形相を変えて自分の部屋に飛び込んできた姉と姉の言葉にしばらく沈黙した。そして今日の面接がうまくいかなかった事をぼんやり考えた。
「え、なに?世里子覚えてないの?」
雄太は世里子を少しからかってやろうと思い、そんな事を言ってみた。世里子は雄太の言葉をそのまま信じてしまった。普段なら絶対に信じることはないのだけれど、この状況ではそれは無理だった。
「あんた、あいつが何者か知ってんの?さっき、あいつが何を持ってきたのかも知ってるって言うの?」
何だか興奮しているような世里子を見て、雄太は面倒になってきた。
「知らねぇよ、ただの客だろ?何なんだよ、その慌てぶりは。もしかして、世里子あの男に惚れたとか?」
雄太は楽しそうにケラケラ笑った。
「あんた馬鹿じゃないの?アタシが男なんて犬以下にしか思ってない事、知ってるでしょ?そんな下らない事じゃなくてさぁ!」
世里子はまだ着替え終わっていない雄太の服を引っ張って、男が居る場所まで連行した。
世里子は、男が居なくなっていればいいと思った。その時、ネクタイを緩めながらついてくる雄太がこんなことを言った。
「でもさぁ、世里子。オレ、あの男どっかで見た事あるような気がするんだよねぇ。さっきから考えてんだけども。5日前の夢の中かなぁ。」
しかし、いくら考えてもあまり良い案が思い浮かばなかった。
今回追い返すだけでなく、二度と来ないようにする方法。
それだけの衝撃を与えられる方法。
そう考えながら、視線を上げるとスーツの男は笑顔を浮かべて世里子を見ていた。

紳士という言葉がぴったりの優しい笑顔だ。
しかしながら、これは営業マンのルールに基づく笑顔なのかもしれない。
鈴木堂にルールがあるように、営業マンにもルールがある。
その第1番目に挙げられるのが笑顔での対応だろう。
そう思うとやはり、気に入らない。けれど、なぜかこの笑顔には偽りが感じられなかった。敵なのに、許すことが出来る。懐かしい感じさえする。

もう一度、視線を上げた。
今度はちゃんと男の顔を見た。
不意に、前にどこかで会ったことがある気がした。
しかも世里子の今までの人生の中で重要な場面で出会った人物のように。
はじめにもらった名刺には「柳沢 圭一」とあった。しかし、この名前を見ても、男が誰なのか思い出せない。
柳沢も世里子に対して、知っているという素振りを見せていなかった。
一体、誰だ。
走馬灯のように、これまでの27年間が世里子の頭の中を駆け巡った時、玄関から声がした。

雄太だ。

弟の雄太は、就職活動の真只中。今日もグレーのスーツを着て出掛けていた。
どこかの会社の面接があったのだろう。疲れきっている。
今回も駄目だったのか。世里子は、そんなことを思うことが最近多くなってきた気がしていた。

一刻も早く部屋に行こうと居間を通った雄太は、柳沢に気づき会釈をした。
その光景をみた世里子は、もしかしたら雄太なら柳沢を知っているのではないかと期待を持った。
グレーはスーツの色として、最も嫌味がない色らしい。
黒でネガティブを表現するわけでもなく、白であからさまに浮かれるわけでもない。その真ん中。中庸。日本人の美学。
だから、甲乙つけがたくてGOOD。
最終面接、採用決定はキミの物!らしい。
弟の就職案内冊子を斜め読みしたときに、そんなことが書いてあったのを見た覚えがあった。
しかも弟はそのページをドッグイヤー、右端のページの角を織り込んでブックマークまでしていた。アイツらしい。実に。

年季の入った客間のテーブルを挟んで目の前に正座している客を見て、世里子はそんなことを思った。
それから、あの冊子は本当に合格するためだけの冊子なのだということもよくわかった。
何が灰色のスーツだ。
可もなく、不可もなく、好印象だなんて、そんなの試験管だか面接官だかのご機嫌取りにしかならない。
社会に出たら、スーツなんて二の次三の次、どうでもいいレベルの話じゃないか。需要なのは外見より中身だ!
弟が帰ってきたら、真っ先にそのことを伝えようと決めた。
そうまでさせる客のスーツは当に灰色だった。

その客人を、彼女が到底好きになれそうもなかった理由はとても簡単だった。
彼女の目の前には『契約依頼書』と書かれたB4のコピー用紙がおかれていた。
内容は簡単にいえば、今の冴えない商売をやめて、地域に親しみのあるコンビニにしませんか?というものだ。
つまりこれが原因だった。
彼女は今の商売が何よりも気に入っていた。それをやめろだなんて言うヤツを好きになれるはずもない。

コンビニにする?駄菓子屋をやめて?
冗談!
ここは子供の天国だ。
大人は大人の天国で遊べばいい。
世里子はそう思っていた。
飲み屋に、ライブハウス、カラオケ、キレーなお姉さんのいるお店にでも行けばいい。
大人の金銭感覚の尺度をもって、駄菓子屋に入ってくるな。
これが彼女の鉄則だった。
だからこの店は暗黙の了解として、18禁になっている。つまり18歳以上は立ち入り禁止。
入ってこようものなら、それ相応の対応を受ける。
書いてある値段の10倍の値段をふかっけるのだ。
サイダーラムネは10円だから100円でしか売らない。
すももアイスは30円だから300円でしか売らない。
ブタメンは60円だから600円、キャラシールは100円だから1000円。
つまりこれが、ここのルール、鉄則だった。
この灰色の紳士は、すでに第一番目のルールを無視してここにいる。
大人の感覚を持って、鈴木堂の玄関をくぐったのだ。
世里子が気に入るはずもなかった。

どうやって追い返すか。世里子はテーブルに置かれた書類を読む振りをしながら、そのことばかりを考えていた。