開口神社(あぐち) 三神、三村宮と三つ茄(社紋)
主祭神 塩土老翁神(元開口村神)
素盞嗚神(元木戸村神)
生国魂神(元原村)
社格等 式内社(小)
旧府社
別名 密乘山念佛寺
大寺
例祭 八朔祭
9月12日に近い金・日曜日
主祭神 塩土老翁神、素盞嗚神、生国魂神
塩土老翁神は住吉大社の住吉三神を一つにして神徳を現した神とされ、「住吉の奥の院」と呼ばれています。
神功皇后の三韓征伐の帰途、この地に塩土老翁神を祀るべしとの勅願により創建されたと伝えられ、延喜式神名帳に和泉国大鳥郡24座のうちの一社として記載されていて、この延喜式神名帳では「開口」を「アキクチ」と読まれていました。この「アキクチ」が訛って「アグチ」となって現在に至ります。
摂津国の住吉神社(住吉大社)と古くから関係が深く、天平3年(731年)の記録では「開口水門姫(あきぐちみなとひめ)神社」と書かれています。
天平16年(744年)には行基によって境内に薬師如来を本尊とする密乗山念仏寺が建立されますが、やがて神仏習合化が進み、当社の神宮寺となりました。
平安時代には空海の影響で念仏寺は真言宗の寺院となりますが、空也とも縁由があり、密教や浄土教の道場にもなって活況を呈し、念仏寺は「大寺」と通称されるようになり定着しました。
承平2年(932年)には神階が正五位上まで昇ります。古代から中世にかけて、当社付近は開口村と呼ばれていましたが、天永4年(1113年)、原村の素盞嗚神、木戸村の生国魂神を合祀して「開口三村大明神」と呼ばれ、崇敬されるようになりました。
当社と念仏寺の両者とも津守氏の支配下にありましたが、堺が商業港として発展し、商人勢力が台頭してくると、商人たちの自治に支えられるようになりました。
南北朝内乱時代の康応元年(1389年)に豪商野遠屋周阿弥が田地を寄付して以来、田地の寄進が相次ぎます。 応永32年(1425年)に朝廷の祈願所となり、応永34年(1427年)には室町幕府の祈願所となりました。
天文4年(1535年)には念仏寺の築地修理料として堺南荘の豪商110余名が一人当たり一貫文ずつの銭を寄進していますが、この中には茶人の武野紹鴎、千利休(「せん与四郎」名義)、奈良春日神社(春日大社)や住吉大社の石灯籠にも名を残す魚屋弥次郎といった有名人の名も記されています。
これら豪商から選ばれた10数人が納屋衆、会合衆となって堺の自治組織の運営に当たり、開口神社の祭礼で重職を勤めました。
明治に入ると神仏分離令によって念仏寺は廃寺となりますが、寛文3年(1663年)に建築された三重塔はそのまま残されました。 1873年(明治6年)に郷社に列し、1902年(明治35年)に府社に昇格しました。
1945年(昭和20年)7月10日に行われた第6回大阪大空襲(堺大空襲)により本殿や三重塔など焼失しましたが、貴重な記録類は被害を免れます。
現在の社殿は1961年(昭和36年)の再建で、南側には宿院があり、住吉大祭の神輿の御旅所となっています。
本殿 1961年(昭和36年)再建。
拝殿 1961年(昭和36年)再建。
豊竹稲荷神社
三宝荒神社(竈神社)
白髭神社・塞神社(庚申さん) 舳松神社・松風神社 菅原神社・岩室神社
薬師社 念仏寺の本尊であった薬師如来を祀る。
右合祀社 熊野神社、厳島神社、兜神社、三宅八幡神社、琴平神社、神明神社、
豊受神社
左合祀社、産霊神社、北辰神社、大国魂神社、恵比須神社、少彦名神社、舟玉神社、楠本神社、影向石・扇塚・白一龍神社
金龍井
海会寺が南宗寺境内に移転した後、当社の井戸となった。
三好元長戦死の碑
天文の錯乱で三好元長ゆかりの顕本寺がこの付近にあったそうです。
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三神・三村・三つ茄(社紋)・三宝荒神・三重塔・三好元長氏・・・
三つ茄がかわいい🍆🍆🍆
一富士二鷹三つ🍆
荒神さんの三宝ってなんだっけ、になりました。笑
一富士~は、家康公の好きだったもの説
風景では富士山が、趣味では鷹狩りが、食べ物では茄子がことのほかお好きだったとか。その三つを初夢に見ると、天下を取った家康にあやかれるということみたいです。
もう一つは、富士は曽我兄弟の仇討、鷹は忠臣蔵、茄子は新陰流(しんかげりゅう)の剣豪・荒木又右衛門(あらき またえもん)の「鍵屋の辻の決闘」と、仇討を三つ並べたとする説もあるそうです。
大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1―29








魚之店
海會寺金龍井




































