この写真は、自分が撮ったものです。









  Have you heard the expression, “we're either growing or we're dying ?”


   あなたは、 私たちは成長しているのか、それとも、死に向かっているのか?という言い回しを聞いたことがある(だろうか?)







  個人的自我=エゴの視点から観ると、この3次元時空間世界という幻想世界の中では、自分は限られた空間と限られた時間の範囲内で生きているように見えています。



  時間空間という制限があるからこそ、「人間ゲーム」のストーリーが成り立つのであり、それによって初めてソース(源)の無限の可能性を表現するという喜びがあるのですが、自分が人間に成りきっているスピリットだということを忘れていることによって、狭い頭の想像力であれこれと考え込んでしまうのです。



   つまり、自分は成長しているのか、それとも、死に向かっているのかという言い回しが生まれて来るのは、自分は一人の人間に過ぎないという錯覚、催眠状態に陥っている時だけだということであり、今ここという無限の可能性に満ちたところにいるならば、そのような言葉が浮かんで来ることは決して有り得ないのです。



   自分は「人間ゲーム」を遊びに来ているスピリットだという確信を思い出す必要があるということです。








    Well, what they're saying is, “you can't stand still.”


   さて、彼らが言っていることは、「私たちは(今いるところに)静かに立っていることはできない」ということだ。







   つまり、今いるところは何か欠けていると思っているからこそ、今ここという宇宙の中心で寛ぐことができないということであり、意識が今ここではなく、自分の外側の世界に向いているということであり、自分の周りの世界の奴隷になっているということを意味しているのです。



   今ここ、この瞬間には無限の可能性として全てのものが既に在るのだという真実に目を向ける必要があるということです。
  


 今ここという宇宙の中心でリラックスしていることが、自分の世界の主人だということを証ししているのです。







 
  We are either giving our attention to where we're going or we're giving attention to where we've been or we're giving our attention to where we are.


    私たちは、私たちが行くところに注意を与えているのか、又は私たちが居たところに注意を与えているのか、それとも、私たちが(今ここに)いることに注意を与えているのか、のどちらかだ。








   つまり、存在しない過去や未来に注意を向けているのか、それとも、自分がいる今ここという宇宙の中心に注意を向けているのか、のどちらかに注意を向けているということであり、個人的自我=エゴという偽物の自分は過去や未来に注意を向け、本当の自分であるスピリットは常に今ここという宇宙の中心、最高のポイントに注意を向けているということです。








  But in any case, wherever we're giving our attention is our vibration, and the Universe is matching it.


   しかし、どの場合でも、私たちが何処に注意を与えていても、(それが)私たちの波動であり、宇宙は(常に)それ(その波動)に一致しているのだ。







 自分が何に注意を向けているかによって、自分の波動が変わるということであり、その波動に対して、宇宙は常に一致するように現れるということです。



   自分の波動が変われば宇宙が変わるということであり、だからこそ、今ここという宇宙の中心でリラックスしていることがとてつもなく重要だということです。



  8の字を円で囲んだ形(省略形)が示している実在と幻想と今ここという宇宙の中心とが三位一体の生命体であるということを大いに喜び、感謝することです。









    Abraham-Hicks.Publications(引用元)












   最後まで読んで頂きまして、まことにありがとうございました。