8の字の形(省略形)の上の⭕が実在であり、下の⬆が幻想であり、その中心が今ここという宇宙の中心を示しています。
そして、8の字の形の背後には⭕の4倍の大きさの⭕が在るのです。
あらゆる豊かさ、幸福、安らぎ、愛、喜び、ワクワクというポジティブな自分の本質は、あくまでも自分の中に在るものであり、外側の世界に在るのではありません。
それらのものは、全てが元々自分の本質に備わっている自分のものであり、外側の世界に属しているものではないということに気づくことです。
それらのものが外側の世界に在るのだと信じ込んでいれば、外側の世界に出掛けて行かなければならないという強迫観念に襲われ、豊かな波動ではなく貧しい波動のままで闇雲に出掛けていくことになりますが、その結果は自分は世界の奴隷だということを思い知らされることになってしまうのです。
したがって、あらゆる良いものは外側の世界に在るのではなく、自分の内側に在るのだということを確信する必要があるということです。
つまり、恐れや不安や心配や焦りや慌てを自分の出発点にしてはいけないということであり、愛や安らぎやゆとりや余裕やリラックスを自分の出発点にする必要があるのです。
では、どのようにしてそれらのポジティブな波動のものを自分の出発点にすることができるのでしょうか?
それは、自分の意識を過去や未来に向けないことであり、外側の世界が自分よりも大きく力があるものだということを認めないことです。
それら過去や未来や外側の世界に在ると思っているものは、今ここ、この瞬間に自分の内側に既に在るのだということを認めることです。
自分がそうで在りたいと思っている自分は、今ここ、この瞬間の中にのみ在るのだということを確信し、それを喜ぶことです。
自分は一人の人間だという信念があれば、その信念の通りに、自分がただの無力な人間に過ぎないということを思い知らされることになるだけですから、自分は一人の人間だという信念よりもその自分を観ている自分、完璧なソース(源)が自分なのだということを少しずつ発見していくことです。
例えば、ネガティブな思考と感情に翻弄されて混乱している時に、被害者犠牲者に成りきっている自分を発見して、何故か分からないけれども、とてつもなく深くリラックスしていることが分かります。
即ち、ネガティブな暴風雨に見舞われてマインドが疾風怒濤状態になっている自分を観ている自分がいるということに気づいた瞬間です。
その時、自分は周りの世界の奴隷としての被害者犠牲者などではなく、その最高に面白い映画を観ている偉大なソース(源)のスピリットだということに気づいたのです。
激烈な感情を味あわなければ、本当の自分に氣がつかないことではありません。
外側の世界の中にネガティブな感情を呼び起こすものを見た時、それとは全く正反対のものが自分の内側に既に在るということを感じることです。
自分の中に元々在るからこそ、外側の世界に偽りのもの、疑心暗鬼を呼び起こすものを見た時には、それが真実ではないということが分かるのです。
イエス・キリストは、神の国は、何処か外側に在るのではない、それはあなた方の最も近いところに在るのだと言われました。
自分に最も近いところとは、今ここという宇宙の中心、即ち、ハートのことです。
イエス・キリストは常に今ここという宇宙の中心に住んでおられたからこそ、あらゆる奇跡を起こすことができたのです。
世界の中のどんな宝物よりも遥かに荘厳で美しく素晴らしい宝物、最高の資源が自分の内側のハートに在るということを知って、大いに喜び、ワクワクし、感謝することです。
最後まで読んで頂きまして、まことにありがとうございました。