Anything you are giving your attention to is invitation to essence of it.

あなたがあなたの注意を与えているものは何でも、そのものの本質を招いている。








   この場合、注意を向けているものが何かということが重要だということです。




   使いたい時に何時でも使えるだけの十分なお金が在って当たり前だという信念を持っているのと、何時でもお金は足らないのが当たり前だという信念を持っているのとでは全く正反対の信念です。





   ところが、お金の欠乏というものは初めから存在しないものであり、お金が在るということだけが本当に在るのです。





   つまり、在るものに意識を向けるのか、それとも、元々無いものに意識を向けるのか、ということによって結果が違って来るということです。




  お金は、目に見える形を取っていますが、その本質は見えないエネルギーであり、ものとしてのお金を欲しがり、求めようとするのではなく、その本質である豊かさ、幸福、喜びに意識をフォーカスした方がいいということです。









 
 Saying `I want money, but it will not come,' is the same as saying, ‘come to me, absence of money, which I do not want.'

 「私はお金が欲しい、でもお金は来ないだろう」と言うことは、「来なさい、お金の欠乏よ、私が欲しくないものよ」と言うのと同じである。







 
  お金が欲しいと思っていても、そのお金が来ないだろうという予想をしているので、その通りになるということです。




   この世界は、ソース(源)によって映し出されている結果としての世界であり、この世界に豊かさやお金を求め欲しがることは本末転倒しているのです。




   無限の可能性であるゼロポイントフィールドには、欠けているものは何もないのであり、全てが既に在るのです。




   したがって、お金が無いという無いものに意識を向けている限り、全てが許容されているので、本来有り得ないお金が無いという現実(幻想)になって現れるということです。




  本来元々在るのは、豊かさだけですから、それを確信して、今自分が在るものに意識を向け、それに感謝することです。




   感謝するというのは、単にお礼を言うのではなく、自分が見えざる完璧な実在の世界と、見えるこの仮想現実の世界とを結んでいる中心だということを確認して喜ぶことだということを忘れないことです。
 








   この続きは次回にさせて頂きます。








 

  最後まで読んで頂き、まことにありがとうございました。