神話は宗教?
”神話” と言う言葉の使われ方が、これを宗教のように感じさせている気がします。
たとえば、不敗神話は、勝つこともあれば負ける場合もあるのに絶対に負けないと勝手に思い込んでいる様子、安全神話も同じでリスクがあるのに丸でないかのように言いくるめる事、最後は神風が吹いて助けられるというのも不敗神話や安全神話と同じ構造でしょう。
これらの”神話”の元になる神をよく見てみると、それを達成するのは完全無欠な、全知全能の神にしかできません。
そういう神は欧米の神です。
日本の神は、ドジで滑稽です。
ですので不敗神話や安全神話などに使われている神や神話は、日本の神とは違う事が分かります。
ここが誤解の原因だと思います。
日本の神話や神はそういう絶対的なものでなく、もっと自然な、間違ったりうまくいかなかったりします。
イザナギとイザナミが2回も流産して神に相談しますが、その神はさらにその上の神に尋ねます。
ではその上の方の神はと言うと、決めたり判断したりできません。
つまり、そんなエライ神も絶対でない、という事です。
ですので日本の神話で語られる神は、不敗神話、安全神話、神風、などの神とは全然違います。
欧米の神は不自然で、日本の神は自然、真逆ではないでしょうか。
宗教が不自然なモノだとすれば、日本の神話は宗教に利用されることはあるかも知れませんが、神話そのものは宗教以前のモノという気がするのです。