<ミンダナオ島に我思ふ> | キャリアウーマンのそれぞれ -「タレントの卵・営業日誌」連載中-
2005年05月28日(土)

<ミンダナオ島に我思ふ>

テーマ:エッセイ風味

~フィリピンのミンダナオ島に眠っているであろう伯父に捧ぐ~

戦後60年もたって、日本兵の生存が確認されたようだ。
しかも、私の伯父が戦死したと言われる、同じミンダナオ島で・・・。

もしかして、私の伯父も生存しているのかも知れない。





幼い頃、私は田舎の仏壇の上に飾ってある、立派な額縁に入った男の人が気になった。

「ばあちゃん、あの綺麗な男の人、誰?」

「ああ、あれはあんたの伯父さんにあたる人よ。」


「ふ~ん・・・。私、会ったことあるの?」

「いいや、さ~やん(仮名)は戦争で死んでしもてるからねぇ・・・。
 みきが生まれるず~っと前の話やで。残念ながら会ってへんなぁ。」


「このおっちゃんは、お母さんの弟?お兄さん?」

「みきのお母さんのお兄さんになる人やで。」


「ふ~ん・・・そっかぁ・・・。」


軍服を着た綺麗な顔立ちの伯父さんの写真をじっと見詰めていたばあちゃん。
私は伯父さんの写真より、写真を見詰めるばあちゃんを見詰めていた。




小学生になった私は戦争の話しを社会の授業で習い、第二次世界大戦の意味をほんの少し知った。


その年の夏休みのことだった。
田舎に遊びに行った時に、ばあちゃんから戦死した伯父さんの話しをもう1度聞きたいと思った。

母に聞けば良かったのかも知れないが、兄妹の意見としてではなく
親として息子を戦争に行かせないといけない立場だったばあちゃんに
話しを聞いてみたいと思ったのだった。


私にとって見たこともない伯父ではあるが、ばあちゃんにとっては掛け替えのない息子。
いくら遠慮を知らない小学生とはいえ、みんなが帰省している時に堂々と聞くことは憚られるような気がして
ばあちゃんが家にポツンと1人でいる時を狙って、私は話し掛けた。


「なあ、ばあちゃん。あそこの写真のおっちゃんの話しなんやけど・・・。」


田舎に帰ると方言がうつる。
ばあちゃんと同じ口調で話すと、ばあちゃんもすんなり話してくれそうな気がした。


ばあちゃんは仏壇の上の写真を「ぅん?」と見上げた。
老眼鏡の奥にある目がす~っと細くなったような気がした。


「あんな、めっちゃ聞きにくいことやねんけどや。前からずっと聞きたかってん。
 学校でな、習ってんけどや。戦争って・・・なんでするんやろな?
 このおっちゃんも職業軍人っちゅうのんとちゃうかったんやろ?
 普通の人が戦争に強制的に行かされて、犠牲になって死ななあかんかってんろ?」


「そうよ、徴兵制度は習ったんやろ?それやで?
 あの頃はねぇ、み~んな、お国のためって教育をされとったけんねぇ・・・。
 犠牲になったんやのうて、お国を守るために戦ったんよ。」


「でもな!でもな!おっちゃんはなんも悪いことしてへんのに死んだやんか!
 悪い事してやんのに、なんで死なんといかんのん?!
 これって、結果的には犠牲っちゅうんちゃうん?!」


小学生程度の知識では、自分が授業で感じた事を上手く表現出来ないし
共産党系教師の通り一遍の授業ではまだまだ偏った物の見方しか出来ていない。


幼い私は、戦死してしまった伯父さんのために憤慨していることを
一生懸命ばあちゃんに伝えようとした。


「今の世の中になってしもうたら、犠牲ということになるんかもしれんな。
 みきの言う通りかもしれんなぁ・・・。」


ばあちゃんは、まだ幼い私の怒りをなだめる為に言ってくれたのかも知れない。
「犠牲」だと思いたい親はいないだろうと気がつくまで、私はここから数年ほどかかった。





中学になってからのある日、ばあちゃんが私の家に泊まり掛けで遊びに来たことがあった。

調度、日本史で戦争について勉強している頃だったので、ばあちゃんに戦争について質問してみた。

色々質問していくうちに、話しが段々反れてきた。


「なあ、ばあちゃん。おっちゃんを戦争に送り出だす時、どんな気持ちやった?」


「お国のために立派に戦ってきてくれ!と思うとったよ。」


「行ったら、死ぬかも知らんねんで?自分の息子が。それでも戦えって思うとったん?」


反抗期の真っ只中とはいえ、ばあちゃんになんて酷な質問をしたのだろう。
今、思い出すと恥ずかしいやら、悲しいやら・・・。
それでもばあちゃんは一生懸命に答えてくれた。


「自分の息子を戦地に送り出すのに、死んでええって思うて送り出す親はおらんて。
 でもな、あの頃はそれを口に出しちょったら、みんなから非国民!っちゅうてな
 罵られるのん、わかっちょったけん、誰も言わなんだんちゃうか?」


「なあ、今やったら本当の気持ち言うても、誰もばあちゃんを責めんけん
 ほんまのこと教えてぇ~や。
 もし・・・もしもやで?
 敵に鉄砲向けられたら、逃げてでも生きてて欲しいって思うやろ?」


「まあなぁ・・・そりゃ、逃げてでも生き延びて欲しいと思うちょったが・・・。
 でも、戦死したのは間違いなかろうて。」


「戦死って、紙切れ1枚で通知して終わりやったんちゃうん?」


「いんや、大分たってから、死んだところらへんの石ころ2つほど
 こがいに(こんなに)小さい箱に入れて送られてきちょったで。」


「石ころ?!遺骨は?!遺品は?!」


「フィリピンっちゅうところでは日本兵が何万人も死んだんやで。
 どこの誰の骨を送られてもわからんくらいやで?
 それやったら、さ~やんの側に落ちとった石ころの方がマシかもしれん・・・。」


「ばあちゃん、その石ころ、どないしょ~ったん?」


「遺骨の代わりに送られちょるんやけん、墓に埋めたでな。」


「そっかぁ~・・・。ばあちゃん、それで納得しよるん?」


「納得せなんだら、どないなるん?今更どないもならんでなぁ・・・。」


最後の言葉は仏壇の上の写真に話し掛けるようだった。





私が社会人になってから、田舎に帰った時のこと。

仏壇に朝のお茶をお供えして、手を合わしたばあちゃんが振り返って私に話し掛けた。


「みき、あんた、もう働くようになってんなぁ?
 ワシが元気なうちに、よ~け儲けてフィリピンに連れてってくれんやろか?」


「はあ?!フィリピン?!何しに行くのん?!」


社会人になってから仕事が忙しくなって、私は伯父の話しのことなどすっかり忘れていたのだ。
私の返事に、ばあちゃんは少し悲しそうな顔をした。


「ワシが死ぬまでに、さ~やんの死んだ場所、1回でええから見ときとぉ~てなぁ・・・。」


腰が曲がって背中も丸まったばあちゃんを見ていると、私も悲しい気分になった。
忘れていたとはいえ、ちょっと酷い言い方だと反省した。


「フィリピンって、島なんやで?いくつもの島がある国やで?
 ばあちゃん、どの島で死んだか知ってるん?」


「戦死の通知にはミンダナオ島って書いとったでなぁ。
 もし、ワシが海外旅行出来んくらいヨボヨボになったら
 みきが1人ででもええけん、行ってきてくれんやろか?」


私はこの時初めて、伯父が戦死した場所を知ったのだ。

ばあちゃんはどうしてもフィリピンのミンダナオ島に行ってみたいのだろう。
連れていってあげたい気持ちはあれど、孫の一存で決められるはずもない。


「ばあちゃんは100まで死なんけん、まだまだ連れていけんわ!(笑)」


私は慰めの言葉が見つからず、笑いに変えることにした。


「ほな、ワシの100までに1回見にいってくれや(笑)」


ばあちゃんも笑いにつられてくれた。




南の外国の島で戦死するくらいだったら、同じ離島の故郷で死にたかっただろうに
伯父は何を思って死んでいったのだろう。

いや、死んだとは限らない。

そう思い直して、ばあちゃんに聞いてみた。




「なあ、ばあちゃん。横井さんも小野田さんも生きとったやろが?
 さ~おっちゃんも生きてるかもしれんでなぁ?」


「ありゃ逃亡兵っちゅうて、自分の責任を放棄して生き延びとるんやろが?
 さ~やんがよう逃げよったやろか・・・・?」


ばあちゃんは自分の息子が職務放棄して逃げたかも?と言う設定の質問に対して
そんな無責任な子じゃない!とも、逃げてもいいから生きていて欲しいとも、明確な返事を避けた。


「もしものもしも、やで?もし、おっちゃんが生き延びててやで?
 現地人になりきって、現地人と結婚とかしとってやで?
 子どもや孫に囲まれて、暮らしとったとしたら・・・どうする?ばあちゃん。」


「生きとるわけなかろう?」


「日本によう帰ってこんと、向こうで幸せに暮らしとったらどうする?ばあちゃん」


「ワシはさ~やんが死んだと思って何十年も暮らしとるでなあ・・・。」


「だから、もしもって言うとるやろが?」


「生きて幸せに暮らしちょるんやったら、それでもええけん・・・
 ほんまに生きててくれちょるんやったら・・・。」


「でも、生きてて連絡もよこさんとってことはなかろう?
 ばあちゃんらが日本で待っちょんの、わかりきったことやろが。」


「だからぁ~・・・さ~やんは死んどるんよ!」


ばあちゃんは自分の中の何かを吹っ切るように言い切った。





それから数年のうちにばあちゃんは段々弱ってきて、離島から出ることもなくなった。

私はあと何年もばあちゃんが元気でいられるか保証がなくなったのだと思い
出来る限り長期の休みの時には田舎に帰るようにしていた。





ある時、朝のワイドショーで特別報道が流れた。
フィリピンから日本兵の遺骨や遺品の一部で身元のわかるようなものが送られてくるという話しだった。

受け取りは長崎放送が担当のようで、該当者名がテロップで流され
「お心当たりのある方は、長崎放送までご連絡下さい」と言う趣旨のものだった。


私は2~3度流された該当者名のテロップを真剣に見詰めていたが
伯父のさ~やんの名前は見当たらなかった。


それでも諦めがつかず、私は母に連絡を取り、もう1度フィリピンのミンダナオ島の名前を確認し
長崎放送へ伯父の名前がないか確認してほしい旨の手紙を送った。





それから1週間後、長崎放送から丁寧な返事を頂いた。


「お返事が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
 今回の該当者名簿の中にはお名前が見当たらなかったのですが
 他にも手掛かりがあるかも知れないと、色々問い合わせなどしておりました。
 大変残念ながら、該当のお名前は見当たりませんでした。
 お力になれず、申し訳ありません。」


手紙を受け取った私は「こちらこそ、手を尽くして頂いて申し訳ありません」と涙を流した。



このことは、ばあちゃんに連絡していない。
不用意に連絡をして、微かな期待を持たせてしまって
遺品の1つもなかったらガッカリするのはわかっていたので・・・。






ばあちゃんが亡くなる3年ほど前に帰省した時のこと。


「ばあちゃん、ごめんな。いつかフィリピンに連れてったろうと思うとったんやけんど
 中々連れてってやれんでなぁ・・・。」


「あら?みきはまだ覚えちょったんかいな?(笑)」


「約束したけん、忘れはせんわい?」


「みきの約束なんぞ、アテにしやせんが(笑)」


ばあちゃんは笑っていた。






この時、私はばあちゃんがさ~おっちゃんの所に行くのは遠くないかも知れないと思った。

「連れてってくれん」とか「まだかいの?」とか言うのなら、ばあちゃんは長生きするのだろうが
私が約束を果たす前に、ばあちゃんはさ~やんに会えるのかも知れない・・・そう感じた。





ばあちゃんは死ぬ2週間前までボケもせず、気丈に振る舞い
紙オムツをしてあげていても「はばかり(トイレ)に連れてやんさい」とか
座れないほど弱っていても「寝て食べよったらバチがあたるけん」とか
死ぬ間際のばあさんには、どう見ても見えない状態が続いていた。


それでも自然の流れには勝てず、亡くなる2週間ほど前から徐々にボケ症状が出始め
「ワシにタバコをやんないや(くださいな)」と言ってみたり
軍歌や御詠歌を大声で上手に歌ってみたり・・・
じいちゃんか、さ~やんが迎えにきたとしか思えない有り様だったらしい。









去年、ばあちゃんの13回忌が終わった。










ばあちゃん・・・。
また、フィリピンで日本兵が生きてるって報道があったよ。

今度は、さ~おっちゃんの行ったミンダナオ島だって。


ミンダナオ島の隣の小さな離島には、現地人と結婚した日本兵もいるらしいよ?




ねぇ・・・ばあちゃん・・・。

今、ばあちゃんの横には、さ~おっちゃんはいるの?













湿っぽい話しになって申し訳ないですが 1クリックヨロシク<(_ _*)> (笑)

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