ゲントの観光 | 海外添乗員の食べ歩き

ゲントの観光

「青い鳥」の作者、メーテルリンクの生まれ故郷でもあり、

16世紀の神聖ローマ皇帝であるカール5世も生まれたこの街は、

首都のブリュッセル、北のアントワープに次ぐ、人口25万人のベルギー3番目の都市です。


でも旧市街はこじんまりとしていて、歩いて十分回れるところです。


旧市街のシンボルとなっているのは、この鐘楼です。


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13世紀に建てられ、繊維産業によって繁栄したこの街の象徴ともいえる建物で、91mの高さがあります。

街のいろいろなところから眺めることができますよ。


こちらは、


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ここの広場は昔、処刑が行われたそうです。

そして、囚人はこの奥の牢獄に入れられていて、


処刑の直前に飲ませてくれたビール屋さんがこちら。


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今ではカフェになっています。


どんな味がしたんでしょうね。


こちらはゲントの旧市街いろいろです。


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こちらはハムの倉庫です。


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ハムに囲まれて食事もできるそうですよ。

こちらは、ゲントの大聖堂、聖バーフ大聖堂です。


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この中には、世界の名画中の名画である、「神秘の子羊」があります。


15世紀、画家のフーベルト・ファン・エイクが手掛け、製作途中の1426年に亡くなって、その後

弟のヤン・ファン・エイクが完成させた、祭壇画です。


超精密画で、北方ルネッサンスを代表する絵画とも言われています。


残念ながら、中は撮影禁止だったので、写真はありませんが...


この絵、カール5世の後にこの地を支配した、ハプスブルク家のフェリペ2世は、

自分の所有物にしようとして、持って帰ろうとしました。


しかし、この地方の新教徒たちは、スペイン支配への抵抗として、この画を焼き捨てようとしたそうです。


フランドル地方を含むこの辺りで、スペインへの独立運動の気運が高まっていた、そんな時代のことでした。 


また、ナポレオン支配時代にはゲントの街からパリへと持ち去られてしまいました。

無事ゲントに戻ってきたのはナポレオンが島流しになった1815年だそうです。

さらにさらに...

ベルリンで行なわれた展覧会ではパネルが何枚か盗まれ、1920年に復元。

そして、なんと1934年には左下の「正しき裁き人たち」が盗まれてしまいました。


その部分は今も複製画で代用しているのだとか。 


また、第二次世界大戦中には、ナチス・ドイツの占領軍が祭壇画を持ち去って

オーストリアの岩塩の鉱山に隠していましたが、1945年にアメリカ軍により発見されたそうです。


現在は盗難防止のためか、ガラスケースに覆われて展示されています。


絵画の写真は、いろいろなサイトにありますが、こちらからはウィキペディア に飛びますよ。





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