以前、一番下の
応援観戦でたまたま、みぃー―つけちまったグリーンハウス
クンクンクンなぁ~んか匂うクンクンクン・・・・←実際くっさい訳でも何でもありません
何が匂うって? 戦時下軍部の臭いすよ!!!
この写真からは感じ取れないかもですが・・
なにかあるっ!とズンズン進んでいくと食堂と書いてある・・
食堂?なんですとぉーー♪
気軽に入れるじゃんっ。で・・・・入っていきました!
この階段!ごめんなさいねぇっボケてて
味・・・あるでしょーって、ボケててわかんねぇ~~!
床はモザイクタイル・・・
そして階段を上がると・・・
うほぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイーーやばーーいっす
とってもイケてるではないですかっ
オイラこぅいぅ建物・・・・相当しびれるっ
で・・・やっぱり何処か軍部の匂いがやっぱりするんですなーー
なんでよ
と突っ込まれても自分でもよくわっかっらーーン
第6感ってやつぅ![]()

丁度お客さん居なかったので、ちょっくらウロウロさせてもらいました
すると、壁にこのグリーンハウスの事が書かれている新聞など掛けてあったので読んでみると
やややややややややっぱーーーり
軍部臭してたわけだ!
簡単に話すと
1931年ゴルフ場の藤沢カントリー倶楽部クラブハウスとしてオープン
チェコ生まれのアメリカ人アントニオ・レーモンド氏が設計建築、11年後の1943年(昭和18)横須賀海軍航空隊の用地として使用されることになります。
1943年は、大東亜共同宣言をした年でもあり戦争真っただ中。
そんな中、軍に回収されてしまうんですねぇ
跡地には藤沢海軍航空隊が置かれ、藤沢海軍航空隊は無線兵器整備員養成を目的とした飛行場として使用
1944年10月当初第13連合航空隊に属していた藤沢海軍航空隊は第20連合航空隊に編入
ちなみに、1桁の番号の連合航空隊は、のちに第11航空艦隊に改編した実戦部隊
2桁の連合航空隊は初級・予科練から上級は実用機練成までを統括する練習部隊
グリーンハウスは司令部として利用され、開隊当初は兵舎が完成していなかったので
グリーンハウスを兵舎も調理場も兼ねて使用
司令部は引き続きクラブハウスに置かれ、
1945年8月,終戦に伴い進駐軍(GHQ)に接収され
海軍施設としての幕を閉じたのね
その後飛行場として十分利用できず約1年で進駐軍は撤退
跡地は返還され1946年には聖園女学院、民間飛行場になり、通信学校跡に藤沢翔陵高等学校が移転
そして、この、グリーンハウスを建築設計したレイモンド氏・・・
この方の人生もまた戦争に翻弄されてしまった一人・・・
レイモンド氏は戦前、戦後このグリーンハウス以外にも設計し日本に近代モダンニズム建築を持ち込んでくれた一人なのですが…
1937年国際情勢が緊迫悪化のため、日本を離れ、22歳の時移住したアメリカで活動していました。
そんな中、日本の建築家屋をよく知っているが故か白羽の矢が立ち、少将カーチス・ルメイから依頼され日本家屋をアリゾナの砂漠地帯に再現しました。
そぅ。焼夷弾での空襲に備えてアメリカは再現させた日本家屋で実験実証するための日本家屋の再現をさせています。
東京大空襲などでこの実験は生かされてしまいました
大東亜戦争後1947年に再来日、そして1973年まで建築設計事務所を立ち上げ
(レーモンド設計事務所は今も存続)日本近代建築の父と言われるほど活躍していますが、一部の日本人建築家から批判を浴びています
グリーンハウスの話に戻りまーーす
とっても素敵すぎるグリーンハウスなのですが・・・・・
軍部に使われていたためか、朽ちっぷりが激しいです。
と、いうか・・・・ペンキ塗りなおすだけで全然印象変わるはずなんですけどーー
これじゃあ、勿体なさすぎる!
そぅ思っていたら、な・な・な・んと再生プランが上がっているようで
かなり楽しみ![]()
欲を言えば、壁の色とかいい味出してるので色合わせ出来るペンキ塗装やさんを採用してほしい←わがまま?




