今の私は、生き方が解りません。

死に方は知ってるけど。。。。。

『死ね、死ね、今度は確実に死ね。』ってずっと誰かが言うんです。

確実な死に方なんて死っています。

でも、生きていたいんです。こんな私でも必要としてくれる家族が居るから。。。。。

迷惑かけてるだけの私でも、生きていたいのに。。。。
解離性障害と共に生きる日々。-110828_1728~01.jpg

今日は久々にまともにご飯作りました。

白滝入り牛丼と、カボチャとベーコンのガーリックバター炒め、ワカメスープです。

牛丼は安いお肉なのでちょっとスジっぽく固いので圧力鍋で煮込んで作ってみたらお肉も柔らかくて美味しかったですドキドキ

圧力鍋なら材料と調味料とだし汁入れて火にかけるだけなので簡単、炒めたりしないので油も使わずヘルシーですねニコニコ
いつも通っている心療内科へ主人に付き添ってもらう。

いつも患者も多い比較的人気のある心療内科。

救命から心療内科の担当医への手紙も受付で渡す。

普段なら一人一人にそんなに時間はかけられない(患者が多いから)のですが、いつもの倍以上時間をかけて問診しました。

自殺未遂してしまった日の朝からの事、色々全て話した。

そして先生が言った。

『今まで、貴方をうつ病だと思い治療してきたが、うつ病ではないです。解離性障害だけです。』

自殺行為も、色々全て解離からくると思えば説明がつくらしい。

そして昨日病院でのたうちまわって苦しんだアレはやっぱりパキシルの離脱症状らしい。

あそ2日すれば完全に無くなるらしいです。

今まで飲んでいた抗うつ剤はすべてやめて、これからは1日3回のワイパックス(2錠)と就寝前のジプレキサ(2錠)のみになった。

先生曰く、解離性障害は、薬をあれこれと飲んで治療するよりも、今現在のストレスになっている事を少しずつ減らしていく、そして頼れる人にはどんどん甘える事が一番らしいです。

私の性格的には、人に甘えたり頼ったりするのはちょっと苦手ですが、一人で抱え込んだ結果こんなになっちゃったらしいので少しずつでも先生に言われた事を実践してみようと思います。

そして、昨日生理が来ました。

こんな状況だったので、妊娠してなくて心底ホッとしました。
自殺未遂をした夜から退院した翌日まで、いつも飲んでる薬は止めていた。
以前、自己判断でパキシル絶ちをして大変な目にあってるのをすっかり忘れていた。

翌々日になり、体に異変が起きた。朝、牛乳を飲んだら味覚が変、そして麻酔の後の様に口の中が痺れている。そしていつもとは全く違う自分の異常な体臭。止まらない吐き気。

午後になるともう食べる事も飲む事も出来なくなり、手足が痺れて目眩も酷く自転車も乗れない。

夜になり我慢出来ずタクシーに乗って急いでまた病院に行く。精神科の医師は不在で内科医師が対応。

その頃には意識は朦朧として酷い過呼吸発作と胃痙攣を起こし、嗚咽を繰り返す。

精神科の医師が居ないので、まさか薬の離脱症状とは気づかれずに、血液にも異常はなく私はただ放置されていた。

その後、仕事を終えた主人が来た頃には、私は何か解らない体の内側からくる物凄いビリビリ感というかむずむず感に耐えられずベッドの上で暴れ叫びのたうちまわっていた。

そこにいる医師達は頭をかしげる。

主人が側に来て、『俺がついてるから大丈夫、ここに居るから目開けてごらん。』

と私に声をかけ続けてくれる。

でも、その腕を振り払って暴れ助けてと叫び続ける。

数時間経って、何故か『ワイパックスを飲んだら治るかも』という考えが浮かび、主人にお願いして医師に伝えて貰う。

それからまた時間は過ぎ、やっとワイパックスを医師が持ってきてくれ飲む。

30分ぐらいでやっと落ち着き、帰宅。

翌日、心療内科に主人に付き添いしてもらい、一緒に行く。
眠れなかっただけなんです。

夜中中、幻聴に怯えトイレが恐くなり行けず、こんな時間。。。

でも、カーテンの隙間から朝日が差し込んで来たので、ちょっとだけ心穏やかです。

昨日の未遂事件で眠りすぎたせいでしょう。

一睡もしてないのにどんどん目が冴えて来ました。

お天気が良さそうなので子達が起きる前にコンビニ行って来ますにゃ