フランス(フランク)王が気になったそのよん | 元鉢巻きのサバティエンヌが今後もしかしたら本格的にボディビルダーを目指すかも知れないブログ

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訳あって現在は非活動的な日々を送っているかつて鉢巻きのサバティエンヌだった者がいずれ元気になって何事かをなさんとの思いを胸に抱きつつなんとなくその時々の出来事などを記すブログ

複雑で面倒くさかったフランス(フランク)王との、
当ブログのお付き合いも、
今回でとうとう終わりです。
前回、2つの図にまとめますと書きましたが、
よくよく調べてみたら、さらに面倒くさい事態が起こっていて、
2つにはまとまりきりませんでした。
したがって、図は3つです。
まずは系図を示します。
20170413メロヴィング朝フランク王家系図01
そして、王位継承の図ですが、
これがどうしても2つに分けないことには、
表現しきれなかったのです。
どうして王位継承の図が1つに収まらなかったかといいますと、
前回に説明した共同継承、
兄弟等複数人で継承した王位を、
兄弟が順に死んでいくのを待って、
最後まで生き残った1人がすべて継承するという方式、
クロヴィス1世に始まるフランク王は、
クロヴィス1世のあと5世代目くらいまでは、
いくつかの変則的な事態が生じながらも、
この共同継承が続きました。
それを表した図がこれ↓です。
20170413メロヴィング朝フランク王継承図前期01
ところが、ダゴベール1世が、
シジュベール3世とクロヴィス2世、
子の2人に共同継承させたあと、
共同継承のシステムが崩れてしまって、
シジュベール3世とクロヴィス2世の子孫が、
最大4系統に分かれて、
王位を争奪しあう状況になってしまったのでした。
それを表した図がこれ↓です。
20170413メロヴィング朝フランク王継承図後期01

そんなごたごたを繰り返すうちに、
宮宰(日本でいう家老みたいなもの?)が実質的に権力を握るようになり、
最終的には、宮宰だったペパンが王位を継承したのでした。
日本史でたとえると、
実際はこんなことありませんでしたけど、
源頼朝の死後に北条時政が将軍職を継いだり、
足利高氏の死後に高師直が将軍職を継いだりした、
みたいな状況でしょうか。
中学や高校の歴史の授業で、
フランク王がメロヴィング朝だった時代の最末期には、
宮宰だったシャルル・マルテルやペパンが、
実質的な権力を握るようになった、
とは教わっていましたが、
今回、このごたごたの王位継承を見て、
こんなことしてたらそら宮宰に権力握られるわなあ、
と非常に納得がいったのでした。

何回かにわたってフランス(フランク)王について書いてきた訳ですが、
ワタクシの結論としては、
ユーグ・カペー以降のフランス(フランク)王位の継承は割と単純だけど、
それより前のフランク王位の継承はものすごく複雑で面倒、
です。

せっかくテーマまで作ったので、
今後も何かほかに世界史で気になることがあれば、
ブログ記事にしていきましょうか。
ではでは。