冤罪と合併症


 合併症ってそもそもなんぞや。なんともちんけな日本語に思えてならない。


 合併症というのは、何かの病気に合併して何かの困った症状が生まれることかな、と文字からは想像できる。

 糖尿病の患者の足が壊死したとか、目が見えなくなったとか。


 それとは別に明らかに医原性の事故。たとえば未破裂脳動脈瘤の手術で動脈瘤が破裂し、くも膜下出血。あるいは外科手術後の縫合不全。ERCP後膵炎など。後者を同じ「合併症」という言葉でくくる根拠がどうも理解できない。

 

 後者の場合、不幸な結果であるが、医療行為の不確実性故、確実には避けられず、統計的に何例にいくつかは発症する。たまたまそれに当たったが不幸で、誰の責任でもない。


 冤罪を考えるとき、似たものを感じる。私の感覚が変わっているのかもしれないが。


 刑事裁判においては、冤罪は不幸な結果であるが、疑わしきは罰せず、無罪の推定、とはいうものの他方で犯罪者を赦してはならないという要請もあり、人が裁く中で冤罪を完全に防ぐことは不可能である。いわば不謹慎な言い方かもしれないが、刑事裁判の合併症。民事裁判での誤審も冤罪のようには報道されないが、最高裁で差し戻しになるのはいわばそのたぐい。


 合併症も冤罪も、決してほめられたことではないし、法的責任はともかく、結果に対する反省が必要なのは当然である。


 他方、法的責任は、合併症である即無責。とはいえない。合併症はあくまで医療の中での評価。法的過失の有無を評価しているわけではない。合併症は、総じて、結果は不幸であっても結果故に法的責任を問えるものではない、それは間違いない。しかし、逆に合併症である、というのは法的に無責任であることの根拠にそれ自体ではならない。あくまで具体的な事案に過失があるかないかの判断である。具体的な中身を検討すると、許し難い手抜き、過失と評価されるレベルの行為であることもある。


 冤罪も、冤罪である、という結果自体からはストレートに裁判官を非難できるものではない。もちろんほめられたことではないし、そのことによる結果の重大性に深い反省は必要だが。しかし、具体的な事案を検討すると、許し難い手抜き、経験則違反、ひどい場合は、手続き違反もある可能性があるし、その場合は、当然非難に値する。