かつて近鉄特急には「Snack Car」なる車両があり、私も車体に取り付けられたその銀色のロゴと車内のスナックコーナーを見ている。売店みたいなその場所は車内販売基地で、カウンターには後でワゴンに搭載する弁当などが置かれていたという記憶がある。

 しかしながらスナックコーナーは、元々は単なる車販基地ではなくて飲食サービスコーナー。そこを基地としてシートサービスも実施されていたというが、「鉄道ピクトリアル」1975年11月増刊号によるとそのサービスは同年2月まで。

 Snack Carロゴを付ける12000系または12200系初乗車が1979年1月という私は、同系列乗車時にワゴンサービスを利用し、上で記した車販基地としてのスナックコーナーを見てはいるものの、当初企図されたサービスを見ていない。

 

 要するに「真のスナックカー」を知らないまま過ごしてきた訳で、それゆえ同コーナーが撤去された後や、最初からそれが設けられなかった12200系グループをSnack Carと断じて呼ぶことは出来ぬ。

 団体用改造車である15400系「かぎろひ」のサービスコーナーでは飲食物提供があるそうで、スナックコーナーの雰囲気が味わえそうと思ったが、こちらに乗ってそのサービスにあやかるには少しハードルが高そう。

 スナックコーナーの後継は、長らくの空白期があったものの今では「しまかぜ」「青の交響曲」で見られる。それはそれでめちゃ喜ばしいが、元祖ともいえる12200系が「かぎろひ」でかつての栄華を思わせるのみ。そちらに乗り辛いといっている輩には少々寂しい。

 

 12200系としてのラストランは2021年11月20日に施行された。既に人的車内サービスがなく、ホットコーヒーも飲めない特急車には思い入れが失せているという私は、これには静観するのみ。ただ本件が発表された10月4日の4日後の10月8日、「12200系改造車による観光特急運行開始」が発表された。

 販売カウンターを設けた実質12200系!このプレスリリースのおかげで、12200系ラストランツアーをすっ飛ばしてよかったと改めて思ってしまった。そしてこの観光特急が走り始めたら、実質12200系の有人販売コーナーで飲食物を購入出来、これはまさしくスナックコーナーの再来!

 

 当該観光特急の愛称は「あをによし」。外観イメージは上のプレスリースで見られたが、実車を私が初めて見たのは2022年4月11日(月)の夕刻だった。東花園検車区に留置してある紫色の車体を走行中列車の車内から発見、あれが「あをによし」。12200系からの変わり様はよく判り、塗装の効果は大きいものだと思った。

 これに先立って試乗会募集があったのだが、試乗列車ではスナックコーナー・・・ではなくて販売カウンターの営業はなく、それだと「あをによし」の魅力が私には無いに等しい。よって乗るなら通常運行が始まってからとしていたが、実車を見たら初日1番に乗りたくなった。

 

 4月15日(金)の午前10:30、インターネット予約に挑むが画面が切り替わらないまま時間が経過。こりゃ駄目だと1番列車予約は空席の有無を見る前に止め。前日に阿部野橋の券売機で空席を探しても無く、続く連休期間中でもは取れないだろうと確かめる前に断定。こうして私は早目の乗車を諦めたが、自身の情念が薄まってきたなとも自覚する。

 だが気合を入れ直し、5月半ば以降再検索。難波発着が×ばかりなのに対し、奈良~京都に空席有り。5月20日(金)の奈良12:10→京都12:45の「あをによし9206列車」の指定券を購入した。

 

 観光特急の乗車時間が35分か、JR九州の熊本~三角「A列車」並みであり、「A列車」乗車時を思い返しながら「あをによし」での過ごし方を案じる。座って走りを楽しむ時間・区間は、どのタイミングで販売カウンターへ行くか、飲食に充てる時間は、見所のある車窓は、等々。

 こんなことを案じるのも奈良~京都だからであり、というか「あをによし」6便設定のうち4便がこの区間で、難波~京都を含めて京奈間が同列車の活躍舞台といえよう。そしてそうだとするならば、乗車時間35分でも乗客が楽しめるように近鉄は仕掛けているだろうと解しておく。

 ただし私のような乗客が楽しむには、上のように楽しめるようなプランを自身で組み、ただ漠然とは乗らないのだ。

 

 当日近鉄奈良駅3番線ホームにて、私は11:45時点で入線待機態勢。さて12200改め19200系車両をこの地下駅でどう撮ろうか、台車等は撮れないのでボディだけやな等々。

 そして京都発列車が着き、降車が済むと折り返し準備。この間にボディを見て回ったが、行先表示の「京都ゆき」は12200系のまま、いっぽう前面貫通扉は溶接してしまい南海22000系改造車やJR西日本キハ47改造車みたいだ。

 その貫通扉溶接の前面が、12200系の時の前面「のっぺり」感が弱まっている気がする。12200系では窓周りを紺色で囲んでいたので、そう見えただけか?同様なことを「かぎろひ」でも思っており、もし12200系を以前の124000系みたいに塗り替えていたら、または現行汎用特急車塗装にしたらと同系への印象は変わっていたかもと今更ながら思った。

 

 1号車へ。図面で見ると進行方向沿い向かい合わせ席や窓側向き席があって、JR四国「伊予灘ものがたり」を思わせたが、実際「あをによし」客室に入ると各腰掛サイズが大きくて、これは「伊予灘~」とは大きく印象が異なる。

 私は4番A・B席という進行方向に沿った席を取ったが、座ってみてもその固定クロスシート1人ぶんは大きく、もちろん向かいの席までの空間にもゆとりがあり、その間にテーブル。自分がいるところは、あたかもヨーロッパICの1等車、はたまたJR九州787系「トップキャビン」?? 否、それを上回る感がある。リクライニングシートではないが、じゅうぶんゆったりとした腰掛である。

 

 出発、加速、速い!こうして39.0kmの「あをによし」紀行が始まった。富士山麓電鉄「富士山ビュー特急」大月~河口湖26.6kmや桜期間中の「青の交響曲」橿原神宮前~吉野25.2kmを上回る乗車キロながら、特急らしい快走ぶりで35分を以って終了か。

 それを前提とするので、客席を回るのは切符をチェックまたは記念乗車券販売に当たる車掌のみで、アテンダントがおしぼりを配るというのはない。

 後者を思えば、かつては京奈特急でも近鉄観光車内サービス員がおしぼりタオルを各席へ配っており、往時のほうがサービスがよかったともいえるなあ。なお私がこの区間で最後にそのサービスを受けたのは、1993年7月1日の12400系でのこと。

 

 西大寺を出てカーブを曲がり終えたところで、私は2号車販売カウンターへ。途中4人用シートが並ぶ客室を通り、そしてドアの向こうに販売カウンター。客室とは仕切られているんだ!と初めて知った。かつてのスナックコーナーは、簡単な仕切りがあったように思うが客室から車販の用意が見えていた。それどころか出入り台と客室の仕切りも一部には無かったのだ。

 そのカウンターは割と広く、さらに3号車寄りへ控室というか倉庫らしきまである。カウンターに置いてある記念乗車証を頂いたいっぽう、ここは飲食する所ではないので購入した飲み物・軽食は自席持ち帰り。スタッフは2名、この時の先客は1名でこちらの客が注文し終えた後で私は400円のバニラジェラートを注文。

 商品が出て来るまで先客も私も少々待ち、私の番では倉庫にあろう冷蔵庫から取り出されたのを紙製スタンドにセットされて出て来て、それを受け取って自席へ戻った。

 

 先月新幹線「のぞみ」で買ったアイスクリームほど硬くはなく、というか既に食べ易い柔らかさで、およそ5~6分で完食。もしジェラートが「のぞみ」のそれ並みの硬さなら、京都までには食べ終えることは不可だったところであろう。

 ところでジェラートならワゴンサービスでも購入出来、スナックコーナーもとい販売カウンターのアドバンテージはこの点に於いては無いぞ。やはり「しまかぜ」のカフェまたはかつての「伊勢志摩ライナー」Sea Side Cafe並みの温かい食事が出されてこそのカウンター・・・ともいえるかもしれん。

 だが、「あをによし」にワゴンサービスは無い。記念切符以外を買おうとしたら絶対販売カウンターへ出向かねばならず、従ってこの列車に於ける同所の存在感は著しく大きい。同時にそこに常駐する2名のサービススタッフの存在感も大きくなるのだ。

 

 文献によるとスナックコーナーの食事提供が行われたのは名阪ノンストップ特急だけだったとのことで、他の列車での同所は車販基地。よってスナックコーナー「らしさ」が見られるのは、極めて限られていた。

 往時に比して、現在販売カウンターがあってその営業が見られるのは、「しまかぜ」「青の交響曲」「あをによし」。営業区間は難波~賢島・難波~奈良~京都・京都~賢島・名古屋~賢島で、スナックコーナー営業時代よりもカウンター販売にあやかれる範囲は拡大されている。良い時代になったものだ。

 

 優等列車の車内サービスを味わうことでは、近年は関東地区の列車のほうが優れていた。京成は1970年代、西武は1990年代に車販は止めていたけれど、小田急や東武は近年まで存続し、東武では当初車販サービスが無かったリバティでも一部列車で実施するようになっていた。

 ところが2社とも2021年に取り止めてしまい、2022年5月で自販機を除いて車内飲食販売サービス実施は無し。いっぽう近畿地区では南海が車販を止めて久しいものの、近鉄は上述の通り拡大傾向。一体どこでどうなるか、読めたものではない。

 

 その読めたものでない1つが、2023年登場の東武N100系。カフェカウンターを設け「五感で楽しむ商品等を提供」とあるから、味覚すなわち飲食にかかわるものも売るであろう。となると、昨年の車販取り止めは何だったのかとも思えるが、さてこちらは「しまかぜ」カフェに比してどうなるのかと今のうちから興味津々。

 そしてそういう状況下での「あをによし」の良さはとなるが、客室の快適性はもちろん、走行距離相応の車内サービス、短距離を逆手に取った利用し易さ、具体的には設定頻度だと思う。もちろん「しまかぜ」「青の交響曲」にも良さがあって、これら3つに乗り易い所に住む私は恵まれているなあ。

 

 空いた時間は車窓を眺めるが、京奈間での見所って思い浮かばん。2大観光地間を淡々と快走、それが1964年からのこの辺を走る近鉄特急だった。

 最初に680系、そこに18000系が加わる。時を経てその役割を「あをによし」が担うのだが、一般列車用に格下げされた後だが一応転換クロスシートの680系に乗っている私から見たら、笑ってしまう位えらい違いだ。

 けれども今こうして「あをによし」が京奈間または阪奈間を走り始めたことで、これらを走っていた優等列車の車内ってどんな風だったんだと思う。一般車8000系の奈良線特急や、18200系から22000系・50000系の特急なら判るが、680系・18000系には乗らずじまい。

 ついでに私は丸っこいACEの22600系にもまだ乗っていないのだが、これはワゴンサービスが無い、またはホットコーヒーが飲めない特急には乗らないという方針のため。

 

 車掌から記念乗車券を買って京都到着を迎える。スタッフがデッキに、あるいはホームに立って客を送るなんていうのは無い。いっぽうその京都でのインタバルは12:45~13:20で、こちらが京都に着いた時は大勢のスタッフがホームへ待機し、乗客の降車が終わり次第奈良とは全然違う態勢で折り返し準備に取り掛かっていた。

 パンタグラフを有する4号車前頭部を眺める。非貫通にするなら、さくらライナーみたいに前面眺望の好いスタイルにすれば・・・いやいや実は古い車両の改造なので、この先の使用年数を慮れば改造費を多くかけられないだろう。

 と記す私は、本当は12200系の面影を残すこちらのほうでよく、貫通扉も溶接しないままのほうよかったとすら思っている。

 汎用特急車となっていた12200系が、実はかつてはSnack Carと称されスナックコーナーを営業していた。そのことを今になって思い起こさせる存在、それが19200系「あをによし」であることに、私なんかは拍手喝采なのである。