前にも書いたとおり、済州島は大きく分けて北側が済州市、南側が西帰浦市の管轄となっている。

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僕たちが住んでいるのは南側の西帰浦市。
韓国語の発音ではソグィッポ市(서귀포시)である。
この「西帰浦」という地名は実はかなり特殊である。
韓国の地名において、市の名前は通常2文字。
例えば、釜山・大邱・蔚山・仁川・水原……といった具合。
ソウルは漢字のない韓国の固有語だが、これもハングルでは서울であり、やはり2文字だ。
では、西帰浦はなぜ3文字なのだろう?
不思議に思って甥のハニョルに尋ねたところ、彼も知らないとのことですぐに検索。
調べてみると、西帰浦という地名は中国の「徐福伝説」と関係があるとのこと。
徐福というのは秦の始皇帝が長生不老の薬を探させるために「三神山」に派遣したとされる人物である。
『史記』に書かれており、日本でも有名な話のひとつである。
この「三神山」というのは中国から見て東方にある神仙の住む島とされている。
そこから、三神山=日本という説が生まれ、日本各地に徐福伝説が作られる結果となった。
徐福が来たとされる三重県熊野市の徐福ノ宮や、和歌山県新宮市の徐福公園(徐福の墓)が有名どころのようだが、他にも福岡県、佐賀県、京都府、長野などなど、各地に伝説が存在する。
知らなかったが、我らが広島県廿日市市にもあるらしい。
で、済州島は西帰浦市。
実はここにも徐福伝説が存在するという。
その伝説では、始皇帝の命を受けて三神山を探していた徐福がたどり着いたのは、日本ではなく済州島の南部だった。
数々の宝物と3000人の少年少女を引き連れてやって来た徐福。
済州島での滞在を終えた彼は船に乗って秦に帰るのだが、その場所がすなわち「(徐福が)西に帰った浜辺」=「西帰浦」だというのである。
秦の始皇帝の時代といえば今から2000年以上も前である。
しかも、徐福という人物は『史記』の中でも詐欺師扱いされている。
彼に関する伝説が史実である可能性はほぼゼロだろう。
でも、『史記』を読んだ昔の人たちは日本にしろ済州島にしろ、似たような発想をしたようである。
中国から東の島……ウチの島やんけ!
徐福伝説を考案した想像力もさることながら、誰がどうしてそんな嘘八百を話し始めたのかも気になる。
中国の史書に載っている人物にあやかって、地元に箔をつけようとでも思ったのだろうか。
まあそれはともかく、大学の卒論を『史記』で書いた僕としては、ずいぶん昔に会った友人に会ったような気がして妙に感慨深かった次第である。
※ 次は土曜日に更新します
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