※もしかしたらこの記事で、

モノを使って何が悪いムキー

気分を害される方も

いらっしゃるかもしれません。

私はモノを使うことを

完全否定、拒否はしませんし、

あくまで個人の見解ですので、

そういう思いの人間もいるのか、

くらいの気持ちで

読み流していただければ

幸いです🙇‍♀※







歩くのが困難になってきたら、はい、車椅子をどうぞ。
起き上がりやベッドへの移乗が難しくなってきたら、低床ベッドや電動ベッドを入れれば?
お風呂の洗い台に登る力がなくなってきたら、じゃあ取っ払ってシャワーチェアーやリフトを使えばいい。
転倒しないように、怪我をしないように、なるべく動き自体を少なくする。あらゆる「モノ」を駆使すればいい。




………はたしてそれは、医療としてリハビリとして、本当に唯一の正しい方法なんだろうか?



訪看さん、および訪看ステーションから来てくれているリハの先生たちは、どちらがと言えばそっちの意見。訪看さんは特にね。訪看ステーションというのはやはり、リハビリのセラピストより看護師の力のほうが強いらしい。



かたや、今月から来てくれるようになった、病院からの訪リハのK先生はそれを聞くや、「ほー……俺とは真逆の考え方やなぁ真顔」と。



K先生いわく、人間には「コケる権利」もある。そしてどう頑張ってもコケるときはコケる。
もちろん、なるべくリスクは軽減した上で、それでもコケた時にいかに怪我をしないように受け身を取れるか、自力で起き上がれるようになるかもリハビリの目的のひとつやと俺は思ってるからね、と。



私は……明らかに後者の意見の方を取り入れたいと思う。
どう頑張ったって、人間コケるときはコケる。そしてそれは地面や床の上。
電動ベッドやリフトや車椅子が、転がった体を持ち上げて助け起こしてくれるわけじゃない………。


どんなに「モノ」が発達しても、それらをありったけ導入しても、それを使える体勢に体を持っていくことができなくなってしまったら、モノなんて何の意味もなさない、むしろ動きを阻む障害物になってしまう。



朝起きてすぐの、にっちもさっちも動かない体。
コケて起き上がれずに、そのまま朝までもがいて、疲れ果てて床で転がって過ごす夜。



こんな体で就寝介助も、深夜の体位交換も入れずにひとり暮らしを続けようとする方が、もはや無茶ですか?



それでも私は、まだ自分の体を使いたい。
誰にも気兼ねせずに過ごせる、ひとり時間と自分の心を守りたい。


ここは病院じゃない。私の家。
たまに来る訪看さんたち………分かったように、教科書で習ってきた理論と制度を、私の体と生活にあてはめようとしないでね。



モノを使うことが、人を入れて手を貸してもらうことが、一概に悪いとは言ってない。
安易にそこに行く前に、まだこの体を使いたいの。心の自由を守りたいの。


ここは私の家で、これは私の生活です。
転ばぬ先の杖ではなくて、私はコケても起き上がれる体がほしい。取り戻したい。


流されませんよ。
そういう意味でも、まだ、足掻きます。