コーヒーはマグカップで立って飲む。
紅茶はティーカップでテーブルを前にして座って飲む。
日本茶は湯のみで畳に座って飲む。
実際はそうではないけれど。
自分の中でのイメージはそうなる。
コーヒーは仕事の合間に仕事に向かうために飲む。
紅茶は午後のひと時を優雅に過ごすために飲む。
日本茶は朝に、これから仕事を頑張ろうという感じで飲む。
自分の中でのイメージはそうなる。
自分がイメージすることと同じように他の人もイメージすることはない。
他の人はまた別のイメージを持っている。
各自、それぞれにイメージがある。
今までの経験、環境、その他いろいろなものがかみ合わさってイメージは作られる。
イメージは固定観念である。
ということは偏見とも言える。
イメージは偏見の塊だ。
自分の独断と偏見でイメージは作られる。
本当はどうかも分からないのにちょっとした印象でイメージが作られる。
いつの間にか、そのイメージは定着する。
そして、イメージが実体になってしまう。
イメージはあくまでもイメージだ。
本当は実体とはかけ離れている。
そういうことが多いだろう。
人に対してもイメージを作る。
人は他人に対してイメージが良いとか悪いとか感じる。
初めの時に作られるイメージが多く残る。
そのイメージは実体と合っているのか違うのか。
それは分からない。
そんな分からないイメージで他人を形成する。
あの人はそういう人だからしょうがない。
あの人がそんなことをするはずがない。
そんな言葉が出てくる。
イメージにより作られる言葉だ。
2023/11/30
