物事には基本があり、基本のマスターが最終的到達への近道になる。
それならば、勉強についてはどうだろうか。
勉強も当然そうだ。
算数(数学)、国語、英語、理科、社会など、やはり基本のマスターが必要不可欠になる。
たとえば、算数(数学)の基本は計算になる。
計算ができなければ、次に進めない。
今は電卓があるので、それも必要ないと言えばそうなるかもしれないが。
計算のマスターは結果だけではない。
過程が今までの基本の積み重ねになっている。
わり算の筆算では九九、かけ算、たし算、ひき算などすべての計算が含まれている。
それぞれの学年の基本のマスターの積み重ねと言える。
中学3年生の数学から考えてみる。
2次方程式は因数分解そして1次方程式ができないと解けない。
連立方程式も1次方程式ができないと解けない。
1次方程式は正負の数の四則計算ができないと解けない。
そのように考えていくと小学生の分数、小数などの計算、九九、大きな数の加減。
最終的には小学1年生のたし算、ひき算が出発点になる。
そこから各学年の基本のマスターを積み上げて次の基本のマスターにつながる。
基本のマスターには共通点がある。
その時々に覚える内容自体は難易度が高いわけではない。
マスターするまでに時間がかかる。
しかも同じことを何度も繰り返すことによって基本はマスターできるものが多い。
この繰り返しを辛く感じるかどうか。
そこで挫折をしてしまうか、しないか。
これが次のステップに大きく左右する。
基本をマスターすることは、往々にして同じことの繰り返しにより体得していくことが多い。
なぜ、こんなことをしなければならない。
なぜ、こんな同じことを何回も繰り返す。
めんどうくさい。
そんなことを思うと続けられなくなる。
そして挫折。
そこで挫折しないで続けられた者が基本をマスターできる。
それを繰り返していくとマスターするための繰り返しの回数も減ってくる。
基本をマスターしやすくなる。
後になってみればその基本のマスターが大事だということが分かる。
けれども、その時点では分からない。
2023/06/13
