歴史の年号を覚えたり、数学の公式を覚えたりすることは将来役に立つのだろうか。
という疑問が出ます。
特に今の時代はIT化が進み、情報端末があれば必要な情報は簡単に得ることができます。
そんな時代に歴史の年号を覚えることにはどんな意味があるのでしょうか。
知識を頭の中に蓄えて記憶するということはこれから必要とされない。
そう思うのは当然のことです。
昔パソコンの普及によりペーパーレスになると言われました。
しかし、実際には情報量も多くなり、よりペーパーの需要が増えてしまいました。
それと同様にIT化が進むことは単に知識を記憶しておく能力はいらなくなるかもしれません。
IT化は保存した知識を結びつけて新たなものを創造するということもできるでしょう。
ただ、今はまだ結びつけて創造する先には人間の能力が必要とされます。
現在はアクセスすれば誰でも必要な情報は手に入れることができます。
だからこそ、どんな情報を得て、何を結びつけて、何を創造すればよいのかが判断できる能力が必要となります。
そのためには、知識を記憶しておく能力はまだ重要となります。
それでもやっぱり年号覚えたり公式を覚えたりすることは将来の役には立たない。
と思うのは当然です。
確かに大人になって、年号や公式を使うということはないかもしれません。
けれども勉強するということはその行為(勉強する能力)が重要となります。
勉強して覚えた内容ではなく、勉強を通じて身につけたことが重要です。
覚える能力、計画を立て実行する能力、集中する能力など、これらが将来に大きく役に立ちます。
大人になると自分で勉強しなければならないことが出てきます。
その時に学生の時期に勉強する能力を身につけておいたことが役に立ちます。
勉強する方法を知っているからです。
勉強する方法を知っていなければ、大人になって一からまた勉強をしなければならなくなります。
勉強して覚えた事が将来役に立つということより、勉強する行為が将来役に立つと考えると勉強することの重要性も分かってきます。