中学の時の英語の先生が言った。
「今、私はフランス語を勉強している。
なぜ、フランス語を勉強しているのかというと、他の国の言葉を勉強すると、自分の国の言葉が分かるようになるからだ。
私にとって、フランス語を勉強することは、英語、日本語の理解につながる。
君達も英語を勉強することは、日本語を理解することにつながる。
だから、しっかり英語を勉強するように。」
このようなことを、先生は授業中に私達生徒に向かって言った。
日本の場合は、英語は勉強するものだ。
会話をして体得するものではない。
そのようになってしまっている。
中学、高校の英語はそう言える。
話せることよりも、書けることが重視される。
いくら上手に英語を話せても、テストで点が取れなければ、英語の成績は悪くなってしまう。
学校では、英語が話せることが英語ができることではない。
少し変ではないかと思うかもしれないが、それが現状だ。
言い換えれば、学校では、英語ができるということは、英語が書けることである。
そうなるためには、英語を勉強しなければならない。
他の科目と同様に一生懸命に勉強しなければならない。
「どうせ、僕は将来、英語なんて使うことはないから、英語は勉強しなくてもいいじゃない」
なんて言って、英語の勉強から逃れようとしても、英語の勉強は他の科目と同様、頭の働きをよくするためのひとつの方法と考えると勉強しなければならないことになる。
結局は、英語は勉強しなければならない。
現状では、英語は書けるようになるようにしなければならない。
それが英語の勉強ということになる。
ちょっと、おかしいと思うかもしれないけれど、それが現状だ。