悔し涙を流す経験を最近したことがあるか。
その問いには、ほとんどないという答えを返すだけだ。
年を取ってくるにしたがって、悔し涙を流すことは少なくなる。
幼い頃などは、多く経験しているだろう。
それが、小学校、中学校と成長していくにしたがって、少なくなってくる。
悔し涙を流せるということは、ある物事に対して真剣に向き合い、一生懸命に努力した結果の先にある。
その結果が残念ながら、自分の望んだ通りでなかった場合、悔し涙が出るということになる。
この一生懸命ひとつのことに、向き合って努力するということが、年齢の増加と共に少なくなっていくのだろう。
その結果が、年を取ってくると悔し涙を流すことを少なくする。
いつも、自分の願った結果が出るわけではない。
その経験により、ちょっとしたことで、自分の限界を知り、あきらめてしまうようになる。
経験の積み重ねが、悔し涙を恐れ、悔し涙を出さないようにしていく。
今は大学、高校、中学の受験の真っ只中だ。
受験では、やはり、ほんの少しの合格の可能性ではだめだと、受験校をワンランク下げる人もいる。
合格の可能性が1%でもあるなら、その受験をがんばるという人もいる。
どちらがよいかは分からない。
結果次第ということになる。
ただ、悔し涙を覚悟で、がんばるのもひとつの選択だ。
その結果、悔し涙ではなく、嬉し涙ということもありえる。
悔し涙を覚悟した人でなければ、嬉し涙は流せない。
悔し涙は一生懸命がんばった結果が、自分の思った通りにならなかった場合に流す涙だ。
だから、できれば流さない方がよい。
けれど、悔し涙を覚悟で物事に真剣に向き合い、一生懸命にがんばろうという気持ちはいつまでも持っていたい。
悔し涙が流れない昨今、嬉し涙も流れていないだろう。
思いっきり、嬉し涙を流すために、悔し涙を覚悟してみよう。