パソコンの具合が悪くなった。
今、メインに使っているパソコンは古い物で、8年位前から使っている。
さすがに、そのままではとても遅いので、CPUを増設したりして使っている。
それでも速さは遅く、時々困ることもあるような代物だ。
でも、使えないことはないので使っている。
使えるので、替える必要がないので使っている、という状態だ。
そのパソコンが電源を入れたところ、急にマウスの操作ができなくなった。
USB端子の接触が悪いのだろうと、差込口を押して動かしたりしたら、パソコンの画面が急に真っ暗になってしまった。
それを見て、自分の心も真っ暗になってしまった。
どうしよう。パソコンが動かなくなってしまった。
仕事ができない。どうしよう。
これから先の歩かなければならない真っ暗な道を思った。
とりあえず、動くことを念じて、時間をおいてから、もう一度電源を入れるしか方法はない。
ということで、マウスをもうひとつのUSB端子につないで、電源を入れてみた。
すると、パソコンは起動した。
ひとつのUSB端子は壊れて使えないが、何とか通常の作業ができるようになった。
バックアップを取るように言われているけれども、していないのが現状だったので、今回パソコンが動かなかったら、と思うと考えたくない。
パソコンに、こんなにも依存している現状をそれほど自覚していなかった。
パソコンが壊れることも考えていなかった。
このことは、パソコンに限らず、普段、普通に生活してしていることでも言える。
家族などもいるのが当たり前で、してもらうことが当たり前になっていることが多くある。
そのことが、自覚されていない。
当たり前なので、存在が自覚されない。
行為が自覚されない。
もう一度、当たり前のことを見つめ直す必要があるだろう。
当たり前のことの重要性に目を向ける必要があるだろう。