教え方が上手いと、教わる方も気分よく勉強ができる。
当然のことだけれども、これがなかなか上手くかみあわない。
教え方が上手くても、教わる方の姿勢が受け入れて理解しようという気持ちになっていないと、教える方も上手い教え方を出せなくなってしまう。
しかも、上手い教え方というのは、説明をすることではなく、教えないことが上手い教え方にもなるということを理解していないとならない。
ただ、やみくもに教えていって、教える方は教えた充実感を感じ、教わる方も教わったという充実感を感じ、どちらもいい気分という場合も要注意である。
教わることに慣れてしまうと自分では考えることをしなくなってしまう。
そして、何でも考えないですぐに教えてもらおうとしてしまう。
つまり、考える行為はしないで、辞書をひくこともしないで、すぐに教えてもらおうとする。
たとえば、塾の先生なんか、分からないことを教えるのが商売なんだから、分からないと言ったら、教えてくれなきゃ。
なんて言って、何も考えないで、答えだけをすぐに教えてもらおうとする。
そうなると、なかなか考える力ができてこない。
最終的に生徒に必要なことは、教わったという感じではなく、自分で考えて、理解できたという感じである。
そのためには、教えることは極力少なくして、生徒自身が考えることを導くことの方に重点をおかなければならない。