ファンになれるのは、うらやましい。
好きにはなるけど、ファンにはどうもなれないようだ。
今回のサッカーのアジアカップの盛り上がりの中に、自分は入っているようでいない。
仕事が終わって、準決勝の韓国戦は後半の途中からテレビを観て、PK戦まで観ることができて、興奮し、勝利にガッツポーズを取った。
そして、決勝戦では日本の勝利を願いながらも、テレビ観戦はせずに、布団の中でいびきとともに夢の中となった。
仕事で観られないというなら分かるけれど、深夜0時にキックオフだからというだけで、観ないというのは完全にファンではないとうことになる。
仕事で、いつもは起きてる時間だから、観られないということはないはずだ。
それでも、寝る方を取るということが、サッカーファンには考えられないだろう。
サッカーが嫌いということではない。
Jリ-グができた時から当然、好きだ。
だけど、きっとサッカーファンではないのだろう。
今回のアジアカップの決勝戦を観ないで、寝ているということは、残念ながら、そう言える。
ファンになれるものがあることは、うらやましい。
タイガースファンの人が以前、これをどうぞ、とくれた物がタイガース印がついている、何かお菓子だった。
その人の乗っている自転車は、あのタイガースの黄色と黒の線が描かれている、まさにタイガース仕様だった。
それを見て、ここまでできるのがタイガースファンだと思った。
そして、ファンになれることは素晴らしいと思った。
うらやましくも思った。
そして、何かのファンになれない自分の血の流れをみつめた。
ファンになって、一直線に進む力が物事を動かす力になるのだろう。
アジアカップの決勝ゴールの瞬間、多くの歓声が日本を動かしたのだろう。