今朝は久しぶりに太陽が顔を出した上海です。
珍しく外の景色がはっきり見えて、家の中に日差しが差し込みました。
ありゃ、暑くなりそうです
ノランは、久々の陽だまり見つけて
洗濯物干しの影を眺めつつ
ここに座ろう!と、決めたようです。
ニャンコと共に、上海暮らしのほとんどを家篭りで過ごすピアリンでございますので、本日も上海ネタございません。
夫の出勤後、NHK「朝ドラ」からの「朝イチ」コースをダラダラと辿ることが多いのですが、こういう時、インターネットテレビは便利です。いつでも、1ヶ月前まで遡って、好きな時間に好きな番組を観られます。それゆえ、こんなグータラ婆が育つのです。(と、人のせいにする)
「朝イチ」の時は、洗濯したり、朝食の片付けなどをしながらの、チラ見andながら見なので、全てを見ているわけではありませんが、たまに興味深いテーマだと、洗濯なんぞ後回ししたり、途中で止めておくこともできるから便利です。
昨日は、「子供のいない人生の生き方」というテーマでした。最初の30分ほどは、しっかり観ていました。
何よりも驚いたのが、令和の現代でも
「お子さんは、まだ?」
と聞く人がいることや、
「両親に孫を抱かせてあげられず、申し訳ない」
と思う人がいることでした。
昭和ですか?と、思わずテレビに向かって吠えました。
昭和の私の時代は、20代後半で子供がいないと、あからさまに
「子供は?まだ?作らないの?」
と、少し年上の方々から言われたものです。
はい、私は30歳で子を生みましたから、あの時代では、高齢初産でした。
20代後半の頃、私は香港で女声コーラスの伴奏者をしておりました。団員の平均年齢は40歳くらいだったでしょうか。全員が、かなりのお姉様方でした。
皆さん、口々に
「子供いないの?」
「早く産んだ方がいいよ」
「子供は可愛いよ〜」
「子供がいると家が明るくなるよ」
と、遠慮なく当たり前の会話として、ズンズン言ってくれちゃいます。
エスカレートして、
「子作りしてる?」
「たまには、レースのネグリジェとか着てさ〜」
「ピアリン、色気が足りないんじゃない」
など、かなり失礼なことを言う人もいました。
私はバカバカしいと思いながら、ニコニコしてスルーするのが常ですが、あまりに腹が立つことを言われると、こちらもわざわざ言わなくても良いことを言わざるを得なくなります。
「欲しいのですが、3度流産してて」
と、このひと言は印籠なようで、大体の大人は黙ります。
中には、それでもしつこく
「でも、きっと次はできるよ」
って、慰めのつもりでしょうが、医者でも言えないことを簡単に言う人までいました。
そう、3度の流産体験をした私は、辛く悲しい思いを繰り返して、やっと立ち直っているのです。
子供が欲しくてもできない人、できても私のような体験を繰り返す人もいるのです。
幸い、私は4度目の妊娠中は日本で長期入院し、安定期に入ってからも実家でほぼ寝たきりの生活をして、やっと出産することができました。
私自身は3度の流産後、もう子供を持つことは諦めたのですが、周りが許さない時代でした。
香港時代から、40年以上
令和の今も、子供がいない人は、こんな失礼な質問をされたり、肩身の狭い思いをしているのか、と愕然としました。
子供を最初から望まない人もいるかもしれないけれど、身体の都合で子供を産めない人もいたり、妊活してもできずに苦しんでいる人もいる、、、色々な人がいて、こればかりは、神のみぞ知る領域でもある部分と、生き方の選択の自由でもあると思うのです。
子供がいると楽しいと思う人の価値観が、全ての人に当てはまるとは限らないという想像力の欠如です。
都議選でも、国の政策でも取り上げられている「少子化対策」ですが、少し的外れなことを感じなくもありません。
お金がない、出産費用が高い、子育てにお金がかかるから子供を産まないという考え方の人もいるのかもしれませんが、それは、ほんの一部の人ではないの?と、思わなくもありません。
それより、今の自分自身の生活に関係しているのではないのか?
就職し、仕事で活躍の場面も増えた頃に、出産という選択をしにくいという人もいるでしょう。男女平等と言っても、出産だけは女性にしかできないことに、もう少し世の中が優しくあって欲しいです。
不妊治療に何百万もかかり、それでも成功するとは限らないことで、妊活にかける出費上限を決めて諦めた人もいるでしょう。
日本の未来に希望が持てず、果たして子を世に出しても良いのか、そんなふうに考える人もいるでしょう。
たまたま夕方の「イット」でも、少子化をテーマにしていましたが、
「子供がいないと、年取った時に寂しい」
「子供を産まないとね、まずは結婚よ」
という価値観を押し付ける70代の方がいました。
私は、同じ世代として、全く理解できません。
子供がいるとか、いないとかに関係なく、寂しい人生を送る人は、自分がそういう人生の選択をしてきただけのこと。寂しさは、人に紛らわしてもらうものではないこと。
そもそも、子供というのは、神様からお預かりして成人するまで育てるものと私は思って育ててきました。子らの人格は彼ら自身が自分で築いていくものであり、それを親だからといって縛ったり、否定するのはお門違いという認識です。
ましてや、子供や孫の存在は、自分の寂しさの穴埋め道具ではないです。
まあ、私が親から人格全否定され、親の所有物として価値観押し付けられ、息苦しさしかなかったから、かなりの大人になった今も自己肯定感ゼロに苦しんでいます。父は3年ほど前に亡くなりましたが、いまだに父の呪縛から逃れられない悩ましい状況にあるのです。
私は経済的に自立していないだけでなく、人生全てを夫に寄りかかって成り立っていますから、偉そうなことを言える立場ではありませんが、言ってます。(笑)
今、仕事をし自立している人たちが、いつ結婚しようが、子供を持とうがどうしようが、どんな未来予想図を立てようが、他人には関係ない、ましてや他人から何かを言われたり、他人の目を気にして後ろめたさを感じる必要はないということは、声を大にして言いたいです。
と同時に、子を授かりたいと思っている人たちにも優しいシステムであって欲しいと願います。一時的な離職に優しく対応して欲しいです。
また、不妊治療にかかる金額は、出産費用より高額ですし、治療のために仕事を休むこともあります。
全ての人にとって、優しい制度が欲しいです。
そして、若い人の選択を昭和の価値観で潰そうとする(私の)同世代には、是非アップデートして欲しいと強く願います。