「聞き上手になると良いですよ」
と言った私のアドバイスを、きょとんとした顔で聞いていた彼。その後しばらくして、こんなことを言い始めました。
「聞き上手の大切さはわかりました。しかし僕みたいなものに、話しかけてくれるでしょうか。聞いているのに、相手の話が全く耳に入ってこないんです。ちょうど遠くを吹き抜けていく風のように、印象に残らないんです。」
画像 moviewalker 耳をすませば
これってどういうことでしょうか。もしかすると「聞こえているのに、何をしゃべっているのかわからない」と言う、「聴覚情報処理障害 = APD」なのでしょうか。どうもそうではないようです。こうなると、「風に耳を澄ましなさい」と言うしかありませんよね。
おそらく彼の場合、こういうことだと思うのです。
相手の言うことが頭に入ってこない。音としては聞こえるのだけれど、言わんとすることが分からない。このようなことだとしたら、彼の意識は全く別のところにあるのでしょう。
「心ここにあらざれば、見えども見えず」と言う言葉があります。
そこに意識が無ければ目には見えているのに、見えていないのと同じ状態になります。耳では聞いているのに、聞こえていないのと同じ状態になります。
彼は相手の言葉に対し、ちゃんと返答するように頭がフル回転しているのでしょう。「相手がこう言って来たら、こんな風に返そう」、「どういう答えがいいかなぁ、これがいいか、あれがいいか・・・」
とにかく意識は彼の思考に引き付けられています。そんな状態ですから、相手の言葉は耳元を通り抜ける風のように、まったく印象に残らないものになってしまうのです。
画像 マイナビメディカル 後輩指導で気を付けたい会話マナー
これって相手に対して失礼ですよね。「相手の話をきちんと聞く」と言うのが、相互信頼を培う上で、非常に大切なものなのは、言うまでもありません。それは相手に対する「思いやり」と言っても良いでしょう。相手に対する思いやりは、相手の話にしっかり耳を傾けて、相手をよく理解しようとする気持ちの中にのみ、育まれるものなんです。共感がしっかりできれば、相手の言葉にならぬ言葉さえも、感じることが出来るのです。
もちろん相手が何に苦しみ、何に悩んでいるかは、その人が話してくれないことにはわかりません。
相手の話を親身になって聞くためには、相手の心を無条件に受け入れる態度が必要です。一切の評価を手放し、相手の心の事実をしっかり味合わせてもらうのです。
しかし彼のように、自分の悩み事で頭が占領されている状態では、とても親身になることは出来ませんよね。
参考・・・『人はなぜ対人関係に悩むのか』、「森田式精神健康法」