アートにおいて、「オリジナル」とは一体なんなのでしょうか。
表現者は、インプットを大事にします。
良いものを見たり聞いたり、体験することで、
それが自分の感性の海に沈んでいって、次の自分の表現の大地となるからです。
ここで問題になるのは、出てきた「新しい表現」が自分のものなのかということです。
新しい絵を描く。
それはもしかしたら、ピカソやゴッホの影響を色濃く残しているかもしれません。
人間は、良いと思うものを自然と取り込みます。
だから、影響を受けるのは仕方のないことだし、
影響を受けるからこそ、良いものを作ることができます。
でも、オリジナリティを主張する上ではどうなのでしょう。
ぼくは、一人のアーティストとして、
「オリジナルの表現は存在する」と考えています。
ピカソの絵を見るという体験。
それは一見、ピカソの方から投げ込まれたボールのように見えます。
しかし、実際は「藤田遼太郎が体験したピカソ」なのです。
ピカソはぼくのフィルターを通して、ぼくの中に入ってきます。
ピカソをどう解釈するかは、観る人次第なのです。
体験はオリジナリティである。
それが表出した結果である表現も、当然オリジナリティである。
だから、ぼくは、誰にでも、オリジナリティはあると思います。
●自分の中のモチーフ
人には皆、自分にとって印象深いモチーフがあります。
表現者の場合、それが「特に表現したいもの」となって現れます。
画家であれば、描きたいもの。
写真家であれば、撮りたいもの。
小説家であれば、書きたいもの。
ぼく自身の画家としての面でいうと、ひたすらそのときに惹かれるモチーフを繰り返し描いていました。
少し前は、墨で塗った黒地に白いアクリル絵の具で山や太陽、月、波などのモチーフを組み合わせて描くのが好きでした。
似たような絵を100枚は描いたと思います。
そうしたら最近、図形や立体で表現する抽象画のイメージ衝動が出てきたんです。
きっかけはデッサンでした。
自然物をデッサンしていて、あるとき、バナナを詳細にデッサンしました。
そのあとから、デッサンで描き込むことがつまらないと思うようになりました。
輪郭と影を描いて、一通りそれが何かわかるくらいデッサンしたら、
そこには、もうゴールが見えています。
それがひどくつまらないものに思えました。
その退屈さから逃れるために、
その時のぼくは、ひたすら立体を描いていました。
描きかけのバナナの四方に描かれる無数の立方体や四角錐。
ある時、そうした立体や図形だけで、1枚の絵になるんじゃないかと思い、
落書きじゃなくて画として描くことにしました。
●
今の図形抽象画シリーズは、ぼくの中のモチーフとしては第二波となります。
第一波のモチーフ群は、山、太陽、月、塔、波といった、自然物でした。
今回は、純粋な立体と図形、線を組み合わせることで画を作っています。
モチーフが変わったわけではありません。
今でも第一波のモチーフは描きます。
ただ、表現の引き出しが広がったのです。
どれも、好きな作家の影響は受けているでしょう。
ただ、それはそれでいいと思っています。
アートはもともと、誰のものでもありません。
アーティストはアートの道であり、導線です。
似ている表現だったとしても、
それが自分の「表現したい」という衝動から出ているのであれば、
構わないとぼくは考えています。
逆に、誰かに作風を寄せたとしても、
線の末端にその人らしさは出てしまいます。
これは覆いようのないものです。
この「違い」こそが、オリジナリティだと思います。