とりいかずよし先生亡くなる | エンスト新のブログ

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既にご存知の方いるかと思いますが、マンガ家のとりいかずよし先生が今月9日お亡くなりになりました。

享年75歳

すい臓がんを患っていたそうです。


とりいかずよし先生は現在の愛知県岡崎市にあたる額田郡形埜村(かたのむら)出身。

生まれて10年後にまわりの村との合併で額田町に。

19歳で映画製作に関わりたく上京。

入社した会社がアニメーション制作事業に乗り出し、アニメーターになる。

転籍したアニメ制作会社で役員をしていたマンガ家 赤塚不二夫先生にスカウトされ、同じビルに入っていた赤塚不二夫先生のフジオプロに入社。

1969年(昭和44)マンガ家デビュー。

同年、集英社発行の週刊少年ジャンプにトイレット博士を連載。


*当初は赤塚ギャグ笑待席という読み切り連載の一作品でした*


連載当初はギャグを交えながらトイレや便について真面目に取り上げていたのですが全国のPTAからトイレや便を取り上げるとは下品で教育上、好ましくないと糾弾されて脇役だった一郎太や担当の編集者をモデルにしたスナミ先生を出して学園ギャグマンガに変えていきました。



*当時はトイレや便は憚(はばか)ものとして取り上げるのはタブーという風潮が強かったです*


立体マンガや反対に消えていくマンガに意欲的で印刷会社の方とも話し合いの末、トイレット博士のその回のためだけに週刊少年ジャンプに立体メガネや透明になっていくメガネを添付した号数も。

コミックス化した際にメガネを添付する事すは難しく、他の回と同様になってしまったのは読者からすれば残念なものが。

終戦記念日にあたる回には戦争での悲しい出来事を取り上げていて、通常のギャグ回とは異なるため驚いた読者もいたそうです。

7年におよぶ長期連載でコミックス30巻は当時の集英社としてもコミックス最長巻でした。

*連載中の1971年(昭和46)秋にフジオプロから独立*





トイレット博士終了後も各社でギャグマンガを描いていましたが、1980年代半ばから

小学館発行のビックコミックスペリオール連載の日本一のセールス男  トップはオレだ!!を境にしてストーリーマンガを中心に描く事に。

この作品は自動車販売会社の新人営業部員がトップセールスまでになるサクセスストーリーで、最終回では隣の地区の係長に昇進の異動の辞令が下りて上司の女性係長からは「これからはライバルだから負けないわよ」と叱咤激励されただけでなく「忘れものよ」と言われ、恋人である同僚の女性事務員も連れて行くように温かく送り出しを。



愛知県出身でプロ野球 中日ドラゴンズのファンでもあったので、その関連の作品も描いていました。



2000年以降、愛知淑徳大学文化創造学部教授。

病気療養のため、2017年(平成29)からは非常勤講師に。


画像はネットから借用しました。