「まさかー!嘘だろ?本当に本当のマジで?」
町田(マチダ)はそれでもまだ、口角に乗った笑みを捨てきれないで、楠美(クスミ)の顔を覗き込む。
楠美ももう何と答えていいのかわからない。
「お節介だって思ったけど、あの日どうしても連に聞きたかったの。それで、否定してくれれば、ああ勘違い、だったらあの女は誰よ、とか言うはずだったのに」
そこに注文した厚焼き卵とコロッケとシーザーサラダが運ばれてくる。町田はジョッキに口をつけた。
「もう連のお母さんなんてオロオロして見てられなかったよ。よくよく聞いたら、ちょっとおかしいなって思ってたんだって。ねぇ町田くん、最近連の部屋行った?」
「あ?ううん。あいつん家俺の会社から遠いし、いつも外で会うからさ」
楠美がざくっとコロッケに箸を入れるとふわりと湯気が上がる。
「どうやらすごいらしい。何もないんだって」
「片付いてるってこと?俺ほどじゃないけど、あいつも普通にきれい好きだろ」
「いわゆるミニマリストってやつ。電化製品も家具もなーんもないんだって」
「電化製品って、エアコンとかそういうの?」
「とにかく全部よ、冷蔵庫も洗濯機もテレビもベッドもなーんにもないんだって」
「うっそっ、それでどうやって暮らすんだよ」
町田が厚焼き卵で口をハフハフさせながら、冗談だろとばかりに吹き出す。
「え?詐欺?」
「あー、あのちまちま電化製品とか買わせるとかいうのですよね?最近捕まった」
佐川太一(サガワタイチ)は、毎週購入している大衆誌をひらひらと取り出した。
「何それ、電化製品買わせる詐欺なんて聞いたことない」
市川沙蘭(イチカワサラン)は信じられないという顔をする。
「一件の金額は大したことないし、2人の女がグルだって気づかない男もいるんだって」
「バカですねぇ、品物ないのにお金渡すのが信じらんない。いくらのぼせてても、そのぐらいわかるっての」
「いやいや、男の気持ちからしたらわかるなぁ。そんなケチくさいこと言いたくないし、恋人の友達から買ってほしいなんて頼られたら、その気になるもんなぁ」
「男ってバカですねぇ」
市川沙蘭はあっけらかんとそう言い放つと、キーボードに向かって軽快に仕事を進めている。どうやら失恋から立ち直ったらしい。
新道るいはほぉっと息をついて、組んだ手の上に顎を乗せた。
電話で連絡をしてきたとし美の心中を思うと、胸が痛む。ただ、彼女は連絡をしてきてくれた。少なからずそれは新道るいにとって喜ばしいことだった。たった一度のレッスンとは言え、自分がかけた言葉をとし美はちゃんと受け取ってくれたのだ。
「もしかして、騙された反動でヤケになって・・・のミニマリスト?」
佐川太一はパタンと週刊誌を閉じた。
「新道先生、やっぱり片付けすぎるっていうのも問題なんですかね」
市川沙蘭が含みを持たせるような口調でこちらを見てくる。その視線を受け止めながら、新道るいは改めて思う。
「私はミニマリストを否定しないし、肯定もしない。それは片付け方なのだから、その人に合っていればそうすればいいし、スタイルや考え方が変われば一つのやり方に固執することなく、どんどん変えていけばいい。それは死ぬまで永遠なの。だから私みたいなのが仕事になるのよ」
へぇと声に出して市川沙蘭は「私なんて一度も確立したことないけどなぁ、片付け」とため息をつくと、またキーボードに向かった。
「よくそれでここに勤められるなぁ」
佐川は目を見張って、ため息をつく。
「本当に、いいの?」
「そんな母さんのヘソクリあてにするほど、落ちぶれてないって」
とし美は、久しぶりに連らしい言葉を聞いた気がして安心する。
「じゃあとりあえず貸しとこうか」
「オヤジに怒られるよ。とりあえず引っ越し費用ぐらいはある。電化製品も徐々に揃えればいいんだし、まあこれはこれで電気とかガスのありがたみがわかってオススメだけど」
「やめてよ、私は絶対無理だわ。家のお風呂が一番好きだし、私が出かけるとき、お父さんのご飯どうするのよ」
「そんなのほっとけばいいんだよ。このままだと、母さんに先立たれたら孤独老人だ」
「父さんはわたしが看取るから大丈夫なの」
連は何もない部屋を見渡す。
節約も不自由さも生きてる実感を持てて好きだった。でも、やっぱりもう少し物はあったほうがいいかもしれないな。
とりあえず、新しい場所でやり直すのだ、何もかも。そのきっかけをもらったと思えば、立ち直れる。
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