1986年 正月にオープンし39年間、文字通り雨の日も風の日も自宅から3分の自転車通勤を続け、気が付けば間もなくxx歳。
昭和の香りのする診療所(実態は野戦病院?)を目指し頑張って参りましたが、現像機が愚図るに及び“故障即閉院”の綱渡りの真っ只中。
振り返れば 約40年間、自分の城で仕事の傍ら、この国の内外を定点観測することが出来ました。
オープン早々、チェルノブイリ原発事故に衝撃を受け、湾岸戦争の時は診察室のモニターTVをチラ見し、バブルの始まりから弾けるまでを観察し、これは本来の日本ではないと呟き、117・911・311については瞬時にその真相を見破りました。
当院を訪れた5万人を相手に日本人が劣化して行く様を観察しながらの不安が的中したのが 閉院を意識するようになった頃からのコロナ騒ぎでした。
https://x.com/i/status/1802001688766644575
今後、医療も含めた激変する世界情勢を横目に見ながら、クールで前向きで建設的な断捨離を進めて行きたいと考えています。
その第一弾として23冊あるファミリーフォトアルバムを1年がかりで写真集(B5版横長143頁)としてまとめました。
米田建築史学4冊セットを編集した経験が大いに役に立ったことは言うまでもありませんが、23冊を未だに処分できないところが課題です。