「雨乞い」
思い出したのは祖父のことだ。祖父はよく土橋の高台の畑に立ち、「お山の向こうには神様がいる」と言いながら遥か西方に青く連なる山々に向かってそのごつごつとした手を合わせてきた。父も、父の兄弟も祖父が雨乞いの為に自転車で「大山」に出掛けた姿を印象深く覚えているという。神奈川県伊勢原市・厚木市・秦野市の境にそびえる「大山」もまた、関東大山塊の一角を担う大切な信仰の山である。祖父は「大山さまから雲が出りゃ、雨が降る」といった。
土橋では大山詣でとともに「雨乞い」の儀式が伝えられてきた。日照りが続き、作物の実りが危ぶまれると見るや、村の若い男衆はすぐさまリレー方式で大山に走り、山頂の滝から「お水」をいただいてくる。土橋から大山までは片道40Kmはゆうにある。しかも標高1252mの大山登山をこなし、日没までには「お水」を無事に携えて村に着かねばならないのだ。それでも早晩に出発し、昼過ぎには土橋に戻って雨乞いをしたというから、とてつもない健脚ぶりだ。
この大山の「お水」は道中一滴もこぼしてはならず、また「お水」を持った者は立ち止まることを許されない。こぼしては験(げん:効力)がなくなり、立ち止まればそこに雨を降らせるという言い伝えがあるからだ。

 

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「秘儀・太占」
太占とは横長のお札で、ずらりと農作物の名が並べられ、その下に数字が書き込まれている。(略)
太占は農作物の作柄予想が書き込まれた作状表だという。天気予報のない時代に、お百姓はその表をみて作付けの指針にした。太占とは、遥か古代に獣骨(主に鹿の骨)を灼き、骨に入ったヒビで物事を占いものだという知識はあった。

(略)
武蔵御嶽神社に伝わる太占は、あきる野の阿伎留神社から伝えられたもののようだが、日本列島の中で今なお太占の神事を伝えているのは、群馬県富岡市の貫前神社(上野國一ノ宮)とこの武蔵御嶽神社の2社のみという。
(略)
ちなみに25種の農作物とは「早稲(わせ)、晩稲(おくて)、粟、黍、稗、じゃがいも、大麦、小麦、蕎麦、大豆、小豆、にんじん、ごぼう、さつま芋、大根、芋(さといも)、ねぎ、茄子、瓜、麻、蚕、桑、茶、たばこ」である。

(略)
「もっと年上の人なら、実際に太占が読めるかもしれない」と船津さんは言った。その言葉を頼りにその後も何軒もの農家にあたってみたが、太占をその場で読みこなすお百姓には以前として出会えないままだった。

(略)
しばらくして現れた杉崎治郎さんは、この土地の精のようなお百姓の風貌を湛えていた。その面ざしや佇まい、節くれだった手指は、風雨に当たりながら百姓を続けてきた証だ。そこにはこれまでの生きざまが年輪のように刻み込まれている。齢80を超えるという杉崎さんは太占作況表を手に取ると、たちどころに読み解き始めた。
「じゃがいもは春先湿気るからこりゃ6だ。大麦、小麦は8、7、だから6月ころはあんまり天気がよくねんぇんだ。にんじんなんか1だから、こりゃ照り年だ。ごぼうが6、さつまが6、秋になって湿気んだな・・・」