<デウシルメ>
デウシルメは,オスマン帝国で実施された,兵士や官僚を採用・育成するための制度である。
成立
アナトリアやバルカンを中心として広大な帝国を築いたオスマン帝国では,帝国を支える人材を安定的に確保するためにデウシルメと呼ばれる独自の制度が生まれた。デウシルメはトルコ語で「集めること」を意味する言葉で,スルタンに直属する兵士や官僚を集める制度として形成された。
イスラーム世界ではそれ以前から征服の際に獲得した捕虜などを君主に属する兵士や世話役として利用することがよく見られたが,オスマン帝国では第3代のムラト1世の頃から,バルカン半島での領土拡大にともなって現地のキリスト教徒を利用するデウシルメの制度が生まれ,そしてビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブルに遷都したメフメト2世の時代からは,デウシルメ制が本格化してこの制度によって採用された官僚や兵士が帝国の中心になっていった。
仕組み
<デウシルメの仕組み>
デウシルメ制は,主にバルカン半島のキリスト教徒の子弟から人材を集め,兵士や官僚に登用する制度だった。
まず,バルカン半島のキリスト教徒のだいたい10代の少年のなかから,健康・容姿・能力などの点で優れた者を選び出し,強制的に徴用して首都へと連行した。
首都に到着すると,彼らをイスラームに改宗させた後,将来の配属先を決定し,多くは兵士要員とされたが,一部の特に優れた者は宮廷要員とされた。
兵士要員となった者はトルコ人ムスリムの家庭に預けられてトルコ語やイスラームの教育を受けた後,兵士とされて常備歩兵軍団のイェニチェリなどに配属された。一方,宮廷要員の方は宮廷で小姓として仕えながら教育を受けた後,官僚などになり,出世して宰相や大宰相にまで昇りつめる者もいた。
意義
このデウシルメ制は,家柄・門閥ではなく能力によって人材を選抜し,そしてスルタンに直属する者とすることで,能力と忠誠心をもつ優れた軍人・官僚を供給して帝国の軍事・行政を支えた。そのような人材を,バルカン半島のキリスト教徒という異民族から人材を登用したことも注目される。
オスマン帝国は,スルタンを中心とした高度な中央集権体制を築いたことや,柔軟なシステムによって多くの民族の共存と活躍を実現したことで知られるが,デウシルメはそのような帝国を象徴する制度だった。