東大世界史2004年第2問⑵ 問題・解答・解説 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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東大世界史の2004年第2問⑵の問題解答解説です。


- 情報・注意 -

東大世界史・体系別過去問についての説明は「東大世界史・体系別過去問について」,論述問題の一覧は「東大世界史・体系別過去問 論述問題 リスト」をご覧ください。


解答が先に目に入らないよう,問題と解答の間に空白を大きくとってあります。自分で解いた後に解答と解説を確認してください。


問題

キリスト教世界は8世紀から11世紀にかけて東西の教会に二分された。その2つの教会のいずれか一方と関わりの深いビザンツ帝国と神聖ローマ帝国とでは,皇帝と教会指導者との関係が大きく異なっている。

11世紀後半を念頭において,その違いを4行(120字)以内で説明せよ。












解答

東大世界史過去問解説 東大世界史2004年第2問⑵

解答例


ビザンツ帝国ギリシア正教会の間では,皇帝がコンスタンティノープル総主教の任免権を掌握して教会を支配下に置いていたが,神聖ローマ帝国ローマ゠カトリック教会の間では,皇帝と教皇が聖職者の叙任権をめぐり叙任権闘争を展開するなど対立していた。」

解答のポイント


帝国の名は問題文に書かれているが,東西の教会とその指導者の名称は問題文には示されていないので,自分で解答のなかで示したい。


東西ヨーロッパのそれぞれにおける皇帝と教会指導者の関係を述べ,その違いを明確に示す。


指定時期は11世紀後半なので,西欧では叙任権闘争の最中であり,ヴォルムス協約によって定められた政教の分離などの話は不適当である。


皇帝教皇主義という用語は,誤りではないものの誤解を招きやすいということで現在の歴史学では避けられるようになっており,使わないほうが無難である。


解説

ペルシア湾ルートと紅海ルート

<東西の皇帝と教会指導者の関係>



東ヨーロッパ世界


中世の東ヨーロッパ世界では,ビザンツ帝国ギリシア正教会が文明圏の中核になり,帝国の君主はビザンツ皇帝,教会の組織上の長はコンスタンティノープル総主教であった。


ビザンツ帝国では,皇帝がコンスタンティノープル総主教の任免権を掌握して,教会を支配下に置いた。


このように,ビザンツ帝国では,皇帝が政教の両権を掌握し,皇帝の優位のもとで皇帝と教会が結合していた。


西ヨーロッパ世界


中世の西ヨーロッパ世界では,神聖ローマ帝国ローマ゠カトリック教会が文明圏の中核になり,帝国の君主は神聖ローマ皇帝,教会の組織上の長はローマ教皇であった。


西ヨーロッパでは,10世紀後半から11世紀前半の時期には,神聖ローマ皇帝による帝国教会政策のもとで皇帝が教会を統制下に置いていたが,11世紀後半からは皇帝と教皇との間で聖職者の叙任権をめぐる叙任権闘争が展開された。


このように,西ヨーロッパでは,皇帝と教皇の対立・抗争が起こり,その後,政教が分離されて,政治の権限をもつ皇帝と宗教の権限をもつ教皇とが分離して並立することになった。