コートジボワールの歴史 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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コートジボワール 地図

コートジボワールは,アフリカ西部,ギニア湾に面する共和国である。

ヨーロッパ諸国の進出

コートジボワールを含むアフリカ西部のギニア湾沿岸の地域には,15世紀から,ポルトガルをはじめ,そのほかオランダ・イギリス・フランスなどのヨーロッパ人が進出し,現地との交易を開始した。

コートジボワールのあたりでは特に象牙が多く取引され,このために「象牙海岸」という呼び名が生まれることになった。「コートジボワール」はフランス語で「象牙海岸」の意味であり,このように現在でも国名として使用されている。

フランスの進出と支配

フランスはポルトガルなどよりやや遅れて西アフリカへの進出を開始したが,17世紀から本格的にこの地域での交易活動を展開した。

19世紀になると,フランスは西アフリカの植民地化を開始し,19世紀末には正式にフランス領西アフリカ植民地を成立させた。こうして,コートジボワールはフランス領西アフリカ植民地の一部としてフランスの支配下に置かれることになった。

独立

第二次世界大戦後になるとアフリカ各地で民族運動が高まったが,コートジボワールにおいても,医師をへて政治家となったウフェ・ボワニを中心として独立運動が展開された。

植民地解放の国際的な流れを前に,フランスもとうとうアフリカ植民地の維持を断念し,1960年,コートジボワールは共和国として正式に独立を果たすことになった。

現代

独立後のコートジボワールでは,大統領となったウフェ・ボワニの強力な指導力のもとで政治は安定し,また資本主義諸国との協調路線をとることで高度な経済発展を実現することができた。

しかし,1990年代にウフェ・ボワニが死去して以降,経済や移民をめぐる問題が表面化し,内戦まで発生するなど,コートジボワールは危機の時代を迎えている。