<金在中のドラマの出演が喜ばしい理由> | worldclassJJ
在中の韓国での初ドラマ<ボスを守れ>が終映してもう一ヶ月近く経った。

今年の上半期には在中がワールドツアーの総監督として活躍する姿を見守りながらとても心喜ばしく感心した所もあったが、一方で彼のドラマの消息に喉が渇く思いで過した。

ところが突然飛んで来た<ボスを守れ>の出演の知らせに在中のファン達が一斉に喚声を上げた記憶が新しく読み帰る。ところで、もう<ボスを守れ>は終わってしまった。


ドラマの余韻が少し冷めた今の所で在中のこれからの行歩について色々考えて見る。ところで一番先に思い浮かぶのが次期のドラマはどんなドラマなのか気になってしょうがない。

早くも在中が良い作品に巡り会うように、‘ムヌニム`よりもっと素敵な姿を見られる日々が待ち遠しい。



これ程ドラマの次期作が待ち切れない理由は何なのか? 先ずはJYJの芸能番組への出演が難しいからだ。音楽番組への出演が難しい今の所 ‘次善の策`としてドラマの出演がとても必要だ。しかし、在中に取ってドラマの出演は単なる臨時的な次善の策ではないのだ。26歳の在中にとってドラマの出演はもっと大きな世界への跳躍のために歩んで行かなければならない`必須的な選択地`なのだ。


なぜドラマなのか?その理由は韓国のドラマの産業的実体や展望と関連がある。最近 K-POPが海外で大人気を得る事でアイドル中心の韓流にかんする関心度が高調している。しかし元々韓流の出発はドラマであった。すでに1990年代中頃から韓国ドラマは中国、東南アジアへ輸出されて徐々に人気を集め始めた。 そのうち2000年代に入って冬のソナタ(2002)と大長今(2003~2004)が海外で爆発的な人気を得る事で韓国ドラマは大きな転換を向かえる事になる。ドラマの収益創出の可能性が急激に増える事で韓国のエンターテイメント産業で占める位置も比べ物にならない位高くなった。



2000年代以後、韓国の各放送社は‘ドラマ王国`の地位の座を占めるためポスト争いをしていて

毎年製作の篇数は増える一方である。2002年度を基準に25篇だったのが2011年の場合、水木ドラマだけで18篇に増えた。(全体の篇数を正確には調べられないがほぼ100篇にはいたると思われる)これらドラマは企画の時点から輸出を念頭に置いて製作する様になった。これに従って海外販売に有利な台本と俳優またロケーションなどが重要に思われ始めた。この様にうまく企画されたドラマは製作規模も以前とは比べ物に成らない位大きくなった。 ベヨンジュン(ヨンサマ)の太王四神記はなんと430億ウォンの制作費が掛かったとする。また、100億ウォン以上掛かったドラマも多数制作された。


勿論、すべてのドラマが成功するわけではない。 制作篇数が増えただけで質的な水準が高くなったわけでも無いので成功作と失敗作との差が克明に分かれる。しかしながら韓国ドラマにたいする海外市場の需要はこつこつ増えて行くし、最近ではアメリカのvod市場にも韓国ドラマの人気は増加する趨勢だ。



それならドラマ以外のエンターテインメント産業はどの様な状況にあるのか? 先ず、映画の場合2000年代中半に観客数千万を超える作品が相次いで出る事で最盛期を迎える事になるが度外れの制作費の上昇と興行の失敗でこの成長ぶりにブレークがかかった状態だった。 一方で歌謡界ではもっと長い期間、沈滞状態を免れる事は出来なかった。韓国の音楽産業が音源を主として再編され企画社と歌手の収益が極端に低下する事になった。但し、一定規模のファンダムを持つアイドルグループだけはアルバムの販売とコンサートで収益を得る事が出来たが、その収益も制限的であって特に、歌手個人に与えられるものはそれ程多いものではなかった。

ゆうに歌手達は演技や芸能に進出を企画社は海外への進出に関心を注ぐようになった。 言い換えると韓国のエンターテインメント産業でドラマはなによりも安定的な収益構造を持つ部分として圧倒的な優位を保っているのだ。


この様な現状況は芸能人の公募行歩にも至大な影響を及ぼすしかない。


其の一、韓国のエンターテインメント産業内で俳優達は一番安定した位置にいる。まともに作られたドラマは大きな爆発力を持っていたため韓国ドラマにたいする資本投資も活発に行われる方である。韓国ドラマの成長ぶりのおかげで制作篇数も徐々に増加して行くし良い俳優にたいする需要も上昇しつつある。おまけに一旦、特急の俳優の位置に上ると莫大なパワーを持つ様になる。俳優達は企画社や制作社、放送社などの様な巨大権力から比較的に自由である。ドラマはエンターテインメントの大衆的な認知度の面でもとても有利な条件を持ている。K-POPの支持層が20代前後である事とは違って韓国ドラマは幅広い年齢層を対象としている。また、今までアジア圏で留まっていた視聴者の層が最近は英語圏にまで広まって行くところも展望を明るくしている。


其の二、韓国で歌手の活動の幅はとても狭くて年齢的な制限も大きい。特に、10代のファン層を基盤としているアイドル歌手が20代の後半以後にも100%歌手活動だけで人気とファンダムを保つ事は不可能である。仮に彼ら(彼女)がミュージシャンとしての変身に成功したとしても韓国の音楽界でアイドル以外ミュージシャンが立つ瀬は狭いのだ。

最近、‘我輩は歌手である‘と言う番組の余波で音楽性について大衆の関心が爆発しているがその様な関心をうける歌手は大部分30代半ば以上でその位置に上るまで容易くない道を歩まなければ成ら無かった。言い直すと韓国の音楽産業は決して明るい展望ではないのだ。歌手の道程も同じである。



其の三、過去の韓国では歌手と俳優の領域が分離していたため歌手が俳優の道を行くと言うのは即ち歌手の道を諦めると意味でもあった。しかし、この様な境界は崩れていく傾向である。実力さえ認められらば歌手として活動する事が俳優活動に全然障害にならないだからである。むしろ二つが良き調和されてもっと大きなシナジー効果を得る事が出来る。


ドラマで流入されたファンは歌手活動を応援するようになり, またドラマをする様になればそのドラマを応援する様になる. この様に得たファンは歌手活動をいくら自由にしても絶対に会うことができなかった, 非常に異質的な人々だ。 結論的に歌手活動の基盤を拡大するのにドラマが非常に大きい役目を果たす事になる。


要約すると、 韓国ドラマを通じて俳優の立地を押し堅めるようになれば歌手としてだけ活動する時に比べてずっと大きい成長機会とアーティストとしての自律権を確保することができるということだ。


しかし歌手, 特にアイドル出身の歌手がトップクラスの俳優として成長することは易しくない。 俳優としての進入障壁が非常に高いのだ。 人気のあるアイドルだったとして誰でも俳優に成功することができるのではない。 その関門をくぐることができる機会は少数にだけ開かれているし, 大部分はその関門で挫折する。 ところが <ボス>を通じて在中がその狭き門を通過した。在中の演技を近くで見守った製作陣と仲間の俳優たちは口を揃えて在中の ‘天才的資質’を話した。 俳優たちの演技力に対して度が外れるほど厳しい韓国のネチズンたちの間にさえ演技力論難が全然なかったのだけでなくチァムウォンは金在中以外には思いつかないと言う評価を受けた。 ところでもっと鼓舞的な点は一般人の目で見ても在中の演技はとても魅力的だと言うことだ。 ひと目に魅かれることができる演技トンと目つきを持っていた。 演技している時の在中から目を離せない不可解な力が感じられる。 在中が持っていた俳優としての潜在力を一番よく出していたいたのが 10回目の ‘10秒シーン’だった。 その短い場面で見せてくれた演技者としての潜在力は長年のファンまでも驚く様なものだった。 “在中がこれ程まで上手くやるとは知らなかった。 これから在中は演技を続けない”と....


すでに金在中は大勢のファンを抱えたアジアのトップ歌手である。 そんな彼に俳優としての道は20代後半のアイドル歌手が持っている限界を越える機会を提供するでしょう. それだけではなく 俳優金在中は歌手金在中の道をもっとがっちりする近道になるでしょう. 俳優在中と歌手在中...この二股道が合わされる時の結果はどれ位大きくて素敵なのか? それが見られる日を想像するだけでもとても幸せになるのだ。