さて、前回に引き続き、『私の別の人生の道①』の続きとして、今回の記事を『私の別の人生の道②』として書いていきたいと思います。
このシリーズでは、過去の私の別の人生の選択肢を思い出し、その時に取り組んでいたことがルーツになり、私の音楽観を形成していることの、それを書いていきたいと思います。



●ドイツ歌曲歌手(バリトン歌手)
大学1年生の時に、声楽の基本となる言語のイタリア語の歌唱が評価され、しかし、テノールの高い声が出なかったので、そうなると、当時、日本でバリトン歌手は、現実的に、イタリア語の歌唱一筋では、お仕事が難しいとのことで、大学2年生からはドイツ語の歌曲を課題として教授から課せられました。
そして、課題に当たってみたところ、イタリア語での歌唱よりも良い評価を頂き、大学の歌唱試験での成績は、私の中では、この時のドイツ語での歌唱が大学からの評価が最も高かったのです。
そこで、教授からは、ドイツ歌曲専門のバリトン歌手を目指したらどうかと勧められ、ドイツ語歌曲のバリトン歌手になることを大学2年生の当時は目指していました。
シューベルト作曲の『冬の旅』を勧められ、レッスンではあまり出来ませんでしたが、在学中には、全部さらいました。
この時のことで学んだことは、詩の解釈は非常に難しいものですが、間違って解釈してしまっても良いので、自身で解釈した物語をしっかり筋書き通りにわかるように演奏する、ということです。
オペラだと、もっと長い場合もありますが、物語をわかりやすく演じることは、今のオペラ作りでも、意識しているところです。



●テノール歌手(イタリアン・テナー)
しかし、元々、私はテノール歌手になりたくて、テノール科として大学(音大)に志望し、大学の試験を受けたので、折角なら、バリトン科としてではなく、テノール科として勉強したかったのです。
そこで、その旨を教授にお伝えしたところ、今度は、大学三年生と休学中に、ロッシーニ作曲のサロン歌曲を、これをやるように、電子メールで教授から課題を頂きました。
この課題が出来れば、バロックでも、古典でも、ロマンでも、イタリア語以外の歌唱でも、テノール歌手として故障することがないと言われる課題です。
逆に言えば、この課題が出来なければ、奇跡的に高い声が出たとしても、また、出なくなる可能性があるとのことでした。
実際には、この課題は、音大を卒業してから8年も経った、最近の2023年になり、ようやく、全ての5曲が出来るようになりました。
1. 約束 As - dur
2. 非難 G - dur
3. 乾杯 B - dur
4. ゴンドラ乗り G - dur
5. 踊り A - dur
の5つです。
リコルディ版で、全て原調です。

この課題に取り組み、当時は「乾杯」と「踊り」以外は出来たので、高い声の成功率が一か八かでも良いという約束のお仕事あれば、卒業後には勉強もお仕事も可能だということで、テノール科として、また、テノール歌手の活躍の多い、イタリアン・テナーとして、勉強しました。
これは、もう、そのままです。
テノール歌手として演じるのが、オペラ歌手として、一番好きです。



●オペラ歌手(主要な言語全て)
これは、今の夢です。
私の人生がオペラであるように、楽しく生きたいと思います。
もはや、私の人生がそのままオペラなのです。