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ビスクドール | アンティークの通販店舗
ワールドドール(World-Doll) 店主の佳山です!(^^)!


こんにちは!

今日は珍しく、京都でブログを書いてます(^^♪


サラリーマン時代に、4ヶ月程度ですが、京都のオフィスに通勤していたんですが、

相変わらず、外国からの観光客が多いですね。

今思い出したんですが、ほんの4ヶ月くらいの間に、何回も観光客から道を聞かれた記憶があります。京都の地図はよくわからないので、ほとんどわからないのですが・・・。

ちなみに、僕は阪急河原町よりも、JR京都駅前が好きですね☆



さてさて、本日は、古今東西の宗教などとも密接に関係のある古代の人形についてです。


さあ、どうぞ!




古代の人形

人形の発達をたどることは魅力的なことであります。

旧式のものとしては、人形は裸で原始的に作られていました。顔に印がつけられていて、髪の毛は大ざっぱに作られていました。

ふつうは上半身だけ形づけられていて、下半身は形のないかたまりのようでした。

ある人形は鉄で作られていて、おもちゃの兵隊の先祖です。

人形はより良い材料で作られ始めました。

雪花石膏が使われたことによって大理石が加わり、石灰岩は片岩をまさりました。

人形は主に女性として作られていました。

研究者はこれを古い文化においての家母長の優勢と関連付けます。

原始的な人々の間では、人形は子供のために作られたわけではありませんでした。

半分物神、半分偶像で、先祖への崇拝のための家族の神として使用されていました。

人形は神秘的で、霊的なオーラがありました。原始の男性にとっては、それは神性のある人生を象徴していました。

キリスト教の教会は古代の伝説を支配していたように、神の絵画は聖人の偶像になったのです。

動く手足と人間の髪で作られたウィッグをもつリアルで生きているような古代人形は、古代エジプトの墓で発掘されています。

ギリシャでは粘土で作られた人形は親しみのあるものであり、塗装したりアクセサリーで飾りをつけたりしていました。

人形の髪型は美しく整えられていました。人形にはおもちゃと宗教的な偶像という二役を演じていました。




女の子が青春期に入ると、人形はヘラ、アルテミス、アフロディテの神々に献上されました。

人形を献上することは、女性の子供時代の終わりを示していました。

ギリシャはリディアの首都、サルディスではおもちゃ工場が栄えていました。

そこでは、人形は粘土で作られた手足、木材、象牙、蝋で作られていました。

ローマでは人形を結婚式や埋葬の時に供物として使用していました。

木材や粘土、象牙で作られた人形は、結婚式や埋葬に供えられる前に、お寺に持っていかれました。

古代ローマでは、母親が子供の人形を着飾らせていました。

立派で芸術的な体を持つ人形からは、どのような衣装を着ていたか推定はできますが、残存していません。

ギブス人形の背景は白でした。顔の色付けは注意深く本物に見せるようにつけられていました。

髪の毛は黒く、古代ローマの女性のように上のほうに縛られていました。

小さな家のように、家具やアクセサリーや道具も人形に作られました。






追伸

実は、わたくし、今日の午前中まで、京都のお寺で禅修行をしておりました(^^)/


禅修行と言っても、そんなに敷居が高いものではなく、気軽に参加できるプチ禅みたいな感じですね。


がっつり、修行という感じではなく、新しいことに挑戦しようとする人や、禅の初歩的な勉強をしたい人、またニートなどの社会復帰を目指している人に向いていると思います。

実際に僕が参加した4日間にも常時20名以上の修行参加者がいて、女性も全体の4割近く居て、年齢層も20歳の大学生から60歳以上の方まで、経歴も職種も、目的も異なる様々な方が参加されてました。

会社から強制的に参加させれているような方もほんの少しいてたみたいですが、ほとんどが、自分のお金と時間を投資して、目的意識を持って能動的に参加されている方たちでした。

このような能動的に動ける人達と一緒の空間にいて、話を聞けるというのは、とてもいい経験でした。

みなさんも、もし禅に興味があれば、以下のサイトをご覧くださいね。


禅修行の詳細はこちら→京都で自分を見つめる禅修行


僕が何で、こんな禅修行をしたのかというと、1年くらい前に、同じ物販業を営む人たちの集まりで、知り合いの方から、「こんな修行ができる寺があるんですよ!」って勧められたのがきっかけです。

それから、すぐに体験してみたかったのですが、あいかわらずの激務で、3泊4日のスケジュールを禅修行のために作りだすことができなくて、ずるずる1年近くが経過してしまいました。

優秀なスタッフのおかけで、最近になって、やっと時間ができたので、思い切って参加することにしました。



禅(ZEN) ぜん  ・・・ 人によって、いろんな響きがあると思いますし、それぞれ、いろんなイメージを持たれていると思います。

禅は日本文化のあるゆるところに影響を与えたと言われてまして、建築や、街並み、道徳、武士道、それこそ日本刀に至るまで、いろんなところで禅の影響を受けてますね。

だから、外国人でも、禅を学びに来る人が結構いるみたいですね。


僕が参加したプログラムの中に、週に2回ですが、和尚さんの法話を聞くことができます。

和尚さんご自身の経験を踏まえて、自分自身が体験したことを交えながら、仏教の考えを説明するとても、面白いし、勉強になるお話です。

ある時は、ご自身の大恋愛であったり、人生というのは、天井から降ろされたロープにぶら下がっている自分がいて、そのロープの先端部分をネズミがかじっていて、いつかはそのロープは切れてしまって、下に落ちてしまうのと似ている、要するに死から逃れることができない、ことを説明したりと、話はその都度変わりますが、

仏教のテーマである 無常、無我、縁起 この3つ、すなわち空の教えをわかり易く教えてくれるんですね。

僕が体験したプチ禅というのは、胡坐よりも脚が痛い禅の姿勢で、25分×2 もしくは 25分×3という感じで、ずっと同じ姿勢で、無を意識して、何も考えないことを目指すのですが、僕のように煩悩ばかりの人間は、すぐにいろんな考え事や、集中力を切らして、じっとしていられなかったり、首や背中がかゆくなったりして、5分もすると、落ち着かなくて、無の境地どころでななくなります(笑) それになりよりも、脚がいたいです(泣)

法話を聞き、禅をしていて感じたことなんですが、
脚が痛い、と思っていると、本当に時間が長く感じるものなんですが、
途中から、禅というものは脚が痛いものだ!と考えを切り替えることにしました。
脚が痛いものだと覚悟を決めると、耐えれるものなんですね。

これって、ビジネスだけでなく、人生そのものじゃないかな、と思いました。

人生って、楽しいことばかりでなく、むしろ苦しいことの方が多いような気がしますが。

どうやってその苦しみ(禅でいう脚の痛み)と付き合っていくのかが大事になってきますね。


今日だけで、この禅の体験をすべて、記載するのは無理なので、また、機会があれば、書きますね(^^♪





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