大発見!純粋に無償の愛を送り続けるのは「親」の方じゃなく「子ども」だった | 【1才児の母×転勤族の妻】たまこのもっと自由にいきてゆきます

【1才児の母×転勤族の妻】たまこのもっと自由にいきてゆきます

1才児の母で転勤族の妻である「たまこ」。
産後クライシスに悩んだり、子育てが嫌でたまらなかったりしたけど、自由に生きる心を手に入れ、元気にやってます。
子育て、夫婦仲、仕事、読書日記、いろいろ「たまこ」なご意見放出中。

こんにちは。たまこです。

 

初めての方はぜひ、「たまこの歴史」もチェックしてみてください!

 

実は、ここ数日、地元から母親が東京に来ていました。

 

 

母と過ごして大発見した話を今日は自分用のメモの意味も込めて

ココに記しておきたいと思います。

 

母親とは愛を注ぐ先で愛を求める先ではない

今回、母と1日過ごしたときに、
すごく自分自身が居心地が悪かったんです。
 
素直になれないような、
何か気持ちをせき止めているような、
意地を張っているような感覚。
 
 
なんでだろう???と不思議でした。
 
 
子供の頃、
4人兄弟の3番目で誰よりも母に愛されたいという強烈な
気持ちを抱いていましたが、
 
 
今や、
バツイチも経験し、再婚し、子どもも持ち、
色々な経験をする中で、
母への気持ちはとっくに解消できていると思っていたからです。
 
 
なのに、
出てきた「母に自分を認めさせたい」という
10代や20代の頃に感じていた感覚が蘇ってきて
とっても居心地が悪かったんです。
 
 
 
でも、「なんで??」
それが分からないから、その場では特に何もせずに、
帰宅してから、ノートの前で自分と向き合ってみました。
 
 
 
そしたらね、びっくり!!!
 
最終的に出てきたのが
「お母さんが大好き」
だったんです。
 
びっくりして、声に出してみました。
 
「私はお母さんが大好き」
 
口にした途端、胸の奥から熱いものがこみ上げ、
涙が止まらなくなりました。
 
 
 
 
 
今、私は、在宅で行っていたいくつかの仕事を整理して
収入は以前の5分の1ほどになっているのですが、
今後の仕事へのあり方に、自信がなくなっていることが
要因となって、
 
 
 
「(自信がないから)お母さんに自分を認めてもらいたい」
と肩肘を張っていて、
そんな自分の気持ちに当てられて
母と一緒にいても居心地が悪かったことが
ノートに向き合って、分かりました。
 
 
 
あ〜、何歳になっても、
「お母さんが大好き」という純粋な気持ちが
自分の根底にあるものなんですね。
 
 
 
自分も母になって思うのは、
実のところ、
親から子どもへの愛情よりも
子どもから親への愛情、
 
 
特に子どもの母親への愛情って、
何より、純粋で強くて、まさに無償の愛だなと思う。
 
 
 
みんな、母親からの「無償の愛」を期待するけど、
 
 
実は、子どもから親への気持ちのが
ずっとずっと純粋で深い!!
 
 
 
もちろん、親も子どもを想ってますけどね。
でも、三つ子の魂100までと言われるみたいに、
 
 
 
初めてこの世に産まれて、初めて愛した人への愛って
暴力的なほど強くて、無作法で、純粋。
 
 
 
なので、愛された側も大変ですけどねw
愛とは温かいだけではない。
 
 
 
特に幼い子供と過ごしながらそう思う。
 
 
 
子供は全てに置いて、純粋に気持ちを向けるから。
 
 

母になるとは愛されることを受け入れること

母になるとは、こうして無償の愛を受けること。
 
 
7歳頃までは母親を助けるために子供はいる
なんて言われますが、
 
 
助ける=愛することなのかな。
 
 
 
大人にはない、
そして、男女の愛にもないような、
本当に純粋で暴力的なまでの愛情。
 
 
 
子供は、
純粋に愛することを知る。
 
 
親になったら、
子どもの愛を受け取ることを知る。
 
 
 
そういう役割になっているのかもしれないな。
 
 
 
いくつになっても、
大人だって「お母さんが大好き」なんだよ。
 
 
 
それは、母親と絶縁していても、
一生会いたくなくても、
いつも喧嘩ばかりしていても、
今現在、どんな関係であっても、
 
 
 
 
「お母さんが大好き」が歪んだ結果だったり、
「お母さんが大好き」を抑え込もうとして、
色んな物を重ねて気持ちを封印した結果の
関係だったりするんじゃないかな。
 
 
 
 
だけど、
だからといって、
今現在の関係性を改善させる必要もなく、
 
 
 
 
今は、居心地のよい距離を取ることでいいと思う。
 
 
 
「お母さんが大好き」と「お母さんと一緒にいたい」は、
別物だから。
 
 
 
 
「大好きだけど、遠く離れていよう。」
だとしても、いいと思うもの。
 
 
 
 
それはそれだけど、
 
 
 
心の中でだけでも、
「お母さんが大好き」と素直に認められると、
大きな癒やしが来るものだなあと実感したよ。
 
 
 
 
自分の感情を押さえつけない。
感情を認めて、自分を許してあげるだけで、
 
 
 
子供がいる人であれば、
子供からの愛を受け取れたり、
 
 
 
自分のパートナーからの愛を
受け取れたり
 
 
 
そんな愛の改善が起こるような気がする。
 

自分の感情を認められたら100%OKとしよう!

子供からの愛のが無償だなという気づきから思ったのが、
 
 
「母の愛は無償」ということにしたいのは、
大人になった子供側のエゴだったということ。
 
 
 
どんな大人も、誰かの子供の訳で、
「母とは強く何にも代えがたいような愛を放つ存在だ」と
みんな思いたいんですよね。
 
 
 
 
私も子どもの母なので、
子供のことは強く愛していることは認めますが、
 
 
子供が思うほど、母の愛は美しくないかもしれない。
 
 
 
産んだのだから、育てなければという責任感もあるし、
疲れてるときに余計なことされたら人間だから腹が立つし、
眠たかったりしたら、イライラしたりもする。
 
 
 
もちろん、
それでも愛してることに変わりないけれど、
 
 
 
「常に母なりに子供を愛している」は正しいけれど、
母だって自分の方が大切なときもある。
 
 
 
母の愛への幻想は、自分自身を苦しめるだけだから
やめたほうがいいなって思うの。
 
 
 
「母なりに愛してくれていた」が正しい。
 
 
 
 
つい自分が愛するよりも愛されたいという
人間のエゴが出ちゃってるんだよね。
 
 
 
だけど、
「お母さんを大好き」はどこまでいっても、
子どもの真理だと思うから、
 
 
 
そっちを認めちゃおうよ。
 
 
 
大人になっても変わらない。
母親との関係性が変わっても、
「お母さんを大好き」だから距離を置いたり、
もう会いたくなかったり、
意地を張ったり、素直になれなかったりするんだな
と認められれば、
 
 
 
 
「母なりに自分を愛してくれていた」を認められるし、
自分の周りの色んな人の愛も受け取れるようになるんじゃないかな。
 
 
 
 
 
なんて、たまこの独り言でした。
 
「愛することによって失うものはなにもない
愛することを怖がっていたら何も起こらない」
by バーバラ・デ・アンジェリス (アメリカの作家・心理学者)