「たまたま考」とは名付けてはいませんでしたが、

私自身にどんな思考回路があったか、

まずは懐かしい大学受験時まで遡ってみます。

 

高校3年時の1年間、後にも先にも

塾というものに通ったのはその1年だけでしたが、

見るもの聞くもの全てが新鮮で、受験勉強が楽しくて楽しくて、

試験本番に自分自身のピークを持っていくことができたのでしょう。

お陰様で「たまたま」、第一志望の慶應義塾大学文学部に

現役合格することができました。

 

受験を意識し始めた当初、

英語は元々好きでしたが、受験科目に決めた”世界史”は未知の世界。

模擬試験でも世界史は見事14点(100点満点中)をとり、

慶應の合格率は「論外」レベル。

D判定だったかE判定だったか、

とにかく鮮烈な塾デビューでした(笑)。

 

でもかえって、それで奮起でき、毎日毎日夢中で勉強。

知識を吸収するには十分すぎる好奇心があり、

塾ではいつも笑っていました。

「高城(たき)、お前はいつも笑ってるな〜」

と、先生にも呆れられたくらい(笑)

 

・・・中略・・・長くなりますから割愛(笑)

 

まあ、そうこうして、いざ受験校を絞る時期を迎えるわけですが、、、

 

私は、第一志望の学校でなければ、

入学したとしても能動的に通えないであろう自分の性分が分かっている、

だから、滑り止めとして他校を受ける気はない!と、

”危なっかしいくらいの潔さ”に満ち満ちていました。

 

でも、さすがにそれは・・・という周囲の心配を受け入れ、

第二志望として他校(1校2学部)を挙げ、

受験校を合計2校3学部に絞りました。

 

高校では出願のため確か13通成績証明書を発行してもらっていたのですが、

・第一志望でないのに受験すること自体、失礼

・自分には第一志望ではない大学が、他の人にとって第一志望だったら・・・

それならば譲り合うべきじゃないか、と思い至り、

合格できる確証なんてどこにもないのに、

担任の先生に断って成績証明書は3通だけ使用することとなりました。

 

「譲り合い」、「律儀さ」、「生真面目さ」、「無鉄砲」。。。

あの時の心境をどう表現すればいいでしょう。

ただ、「誰かが行きたい場所、欲している席を、行きたくない人、欲してない人が

求めるとしたら、それはおかしいなあ」と単純に考えたことは今でも覚えています。

 

結果、合格したのは第一志望だけ。

いやあ、無謀でしたね(笑)。

今、考えるとヒヤヒヤものです。

でも、そんな無鉄砲さ、無謀さも

性分だけでなく、自分軸ではない相手軸あってこそだし、

「譲り合い」の精神ゆえなので良しとします(笑)。

 

あの一年は本当に勉強しました。

参考書を片時も離さず、寸暇を惜しんで問題集を解きました。

でも、受かったのはほんと「たまたま」。

「たまたま考」の極み。

「たまたま」希望が叶って感謝だなあとしみじみ感じています。

 

余談ですが・・・

第二志望の他校2学部の敗因は国語。

苦手な古典が仇となったようです。

慶應義塾大学は、国語の試験内容が、

「たまたま」小論文で古典は免れた。

ラッキーだったのです(笑)。

 

・・・Next つづく。

 

笑みトレ/スマイルコンシェルジュ

たきれいこ(高城 礼子)