じつは今朝、「反骨の画家河鍋暁斎」をパラパラめくっていたら、
「枯木寒鴉図」(明治14年 1881) 榮太樓總本鋪
この絵について、
「第2回内国勧業博覧会で最高賞を受賞した作品。暁斎自ら、
当時としては破格の百円という値段をつけて非難されるも、
栄太樓の主人がお買い上げ!これをきっかけに暁斎の鴉画が
大人気となった。」という解説がありました。
お?栄太樓って、榮太樓飴の?
と思って驚きました。なお榮太樓飴は、
第1回内国勧業博覧会で「甘名納糖」が優等賞受賞を受けています。
こちらを見たら、明治14年の米10㎏が70銭とありましたよ。
そして明治19年の教員の初任給が5円。
どのくらいの破格だったのかわからないのですが、
非難に対して暁斎は、これは鴉の値ではない、これまで数十年絵のために
苦労して学んできたその値だ、と語っています。
なおこの時暁斎51歳。英国人建築家・ジョサイア・コンドルが
弟子入りした年でもあります。