
数年前の正月あたりの読売新聞で佐野洋子が70歳になったことにボーゼンとしている、本ばっかり読んでいた人生を悔いている、
というエッセイを、本よみうり堂という、読書や本についてのコーナーに載せていて、
腹を抱えて笑った。その日は別れる別れないで延々話し合って(合ってはいない、パラレルだから)疲れていたはずだが、
佐野洋子が本の夢の島でボーゼンとしている姿を思い浮かべ、笑った。
私は翌日、弁護士に電話した。夢の島でいいから、じわじわと蝕まれていく暮らしは捨てようと思った。
本ばっかりの人生を佐野洋子は悔いてなどいないのだ。命短し恋せよ乙女、と書きながら、ベッドに寝そべって本を読む快楽にうつつを抜かしているようだった。
死ぬ気まんまん、という言葉は佐野洋子の息子さんで、
昔のエッセイでは5歳で女の子にモテモテのゲンちゃん、
中学からやんちゃになり、財布からお金を抜いたり、バイクを買ったりして佐野さんを泣かせた、
しかしいまはきちんと画家の広瀬弦さんが佐野さんをみて言った言葉だそうです。
堂々としていてズバズバ言いたいことを言い、書きたいことを書いて、
しかし、
そんな佐野洋子が抗がん剤でツルッパゲになった頭を
頭の形がいいと自慢したかと思うと、
私は顔だけブスなのである。この顔でよく生きてきたと涙ぐみそうになった、
などと書くのであわてる。
ガンだけ威張るな。と書く佐野洋子。闘病記やガンと壮絶な闘いをする人も嫌いだ、
と書く佐野洋子。
ああ、死ぬ気まんまんの佐野洋子には叶いません。
佐野さんの文章を読んでいると全然ちがう世界だが、
さだまさしの歌を思い出す。
私は嘘を吐かずに生きてきた。そのために人を傷つけ、自分も傷ついてきた、
という短い歌。
佐野洋子はガンだけ威張るな、と書いたあと、私はウツ病の方がくるしかった、
と書いていて、ウツ体質で9年周期で死にたくなる私は救われた気がした。
息子が生まれてからはまったくないが、もし、またウツ病になっても佐野さんのように、
息子を自殺した親の子にしたくない、と思って生き抜ける気がした。
心の病気は差別される、と毅然と書いたあとに、
最後はジュリーの「決めてやる今夜」で行きたいと書く佐野洋子。
私はジュリーファンではないのだが、
若い頃の妖艶なジュリーも好きだが、いまの太ったジュリーもすきだ、体型維持に必死になるセコさがなくていい、
と書いているのを読むと、
現在さすがに大台はまずいか、
とかセコいダイエットをしようとしていた気持ちが、
パッと消えるのだった。
佐野洋子みたいな70歳になりたい。
あー、
なんか憧れのひとたちがみな、60代、70代になり、
さらには点鬼簿につけられ、
死ぬ気まんまん、
60歳、70歳カモンであります(^皿^)。