鹿児島空港から車で約30分、北に霧島岳、南に桜島を望む小高い丘の上の友人宅に、両親と先々代犬のランとお邪魔したのは、今からもう16年も昔になります。
小鉄くんという賢い柴犬が友人にいつも寄り添っており、我々を尻尾を振って出迎えてくれました。
友人はゴン兄よりもはたち年上で、以前勤めていた会社の先輩でもありました。みんなからは親しみを込めて、ばっちゃんと呼ばれておりました。薩摩のふとかおごじょ(肝っ玉の座った女性)でありました。
それから5年ほどして、友人から涙ながらに電話がありました、てっちゃんが死んだ、と。
友人の家の前には広い茶畑が広がっており、小鉄くんはいつもそこで夜おしっこをしてまた家に戻って来ていたそうなのですが、その晩だけは玄関を出たすぐのところで振り返り、しばらく友人の顔をじっと見て、それから二度と帰る事はなかったそうです。
友人の話によりますと森の奥深くに「犬の墓場」と呼ばれる場所があり、その辺りで飼われている犬が最期を迎えるために向かうそうで「てっちゃんはあそこに行った、わたしにはわかる」と。
近頃めっきり体力が落ち、いつも寝てばかりいたという小鉄くんは、それでも十数年間、友人の布団の上で毎晩眠りにつき、名古屋にいる娘夫婦とは遠く離れた地で一人暮らしをする友人にずっと寄り添って生きてきました。それなのに最期のその時をひとりだけで迎えるために友人の元を去っていった小鉄くん、元来の犬の習性だそうですが、それはあまりにも悲しい。自分の死に顔を見られたくなかったのかな。看取って欲しくなかったのかな。友人のご近所のおじさんが俺が確認に行ってやろうかと申し出てくれたそうですが、友人は断ったそうです。
わたしにはわかる、てっちゃんはあそこにいる、そしててっちゃんはもうこの世にはいない、振り返ったあのとき、てっちゃんはわたしに最期のお別れをしたのだ、と。
シェリーもランもゴンも、そして母も最期を看取ることができました。それはゴン兄にとって、とてもしあわせなことでありました。そしてゴンも、最期のその瞬間までゴン兄が一緒にいたことを、しあわせだったと思っていてくれたなら嬉しいな。
菜々ちゃんの最期もきちんと目の前で看取りたい、抱きしめてあげたいな。
最期のその瞬間まで一緒にいさせてほしい、心の底からそう望みます。

自身のブログの中の懐かしい絵を目にし、そういえば友人にこの絵を送ったなと、当時を回想しました。