一歩ごとに・・・ -6ページ目
昔々のお話です。
保育士ではなく
幼稚園教諭と呼ばれてた時代。
父兄(と呼んでた)は
こんな私に
「先生さまさま
」と
敬ってくれる時代。
田舎は田舎の
あり方がある。
私は
方言を普通に使っていた。
他の先生も、父兄も。
ある日、園長婦人から
「今日から標準語を
使いましょう」と
御触れが出た(笑)
ちょうどその頃
研修会でも議論があった。
標準語か?
それとも地域の言葉を
子どもたちに残すために
方言がいいか?と。
そして
急にそんな御触れが出ても
標準語が使えるわけない。
方言交じりの後尾に
照れながら〈ね〉を
つけるのが精一杯
自分で言いながら
笑えた
そして今日
久しぶりの園での指導や
先生たちとの会話に
おばちゃん方言丸出し
というか、止めようがない。
次から次から出てくる
毎日の
おとちゃんとの狭い世界。
それはしかたない
だけど、それが楽
同僚に話すと
「それが、チョコ先生ですから!」
ん?
褒められてんの??
あぁ
目指すべく凛とした淑女には
ほど、遠いわ



今日も、ありがとう。
園での仕事が
始まった。
子どもたちと
すっぱり縁を切ることなく
こうやって
少しでも、関われるのが
うれしい
新しい先生も
増えてて
しかし、全く名前を
覚えられないし
覚える気がない

あと、給食をまた
食べれるのもうれしい
2歳児だった
お子ちゃんたちが
もう年長さん。
手こずったあの子が
楽しそうに踊ってる。
ダラッとして
先生から喝を入れられてる姿も
かわいくてしかたない。
何も食べれなかったあの子が
給食のおかわりもしてる
必要とされる存在が
なんてうれしいんだろう。
ありがたいんだろう。
行かせてくれた
おとちゃんにも感謝
(お昼は、おにぎり用意
)
ん??
なにやら?
不整脈も、調子いい



今日も、ありがとう。
これを決めてから
弾いたり弾かなかったり
だが

もうひとつ
やることを思いついた。
施設に入った母に
大好きなピアノを
弾いて聞かせることも
できなくなった。
そうだ!
携帯に録音しよう。
難しい曲は
いらない(弾けない

)
昔の曲や動揺や
季節の歌でいい。
そして
よく、口ずさんでた曲を

もし可能なら
最後の時に

ベッドでこれを聴かせながら
旅立たせるのもいい

いや
頑張りやの彼女だから
これを聴いて
ぶり返すかもしれない

そう思って
この前、とりあえず
3曲したためて
面会の時にBGMにして
会話したが
耳が遠くなったようで
反応は、薄かった(笑)
それまでに
弾きためよう

元同僚とランチする。
お互いの
中間点にあるカフェ。
まず、また
一緒にひと月
仕事ができることを
喜び合う
(クラスは違うが)
そして
仕事を辞めてから
やっと
お互いのプライベートな話を
笑い混じりに
話せるようになったんで
そんなところを
聞いてもらったり
聞いてあげたり
この人といると
落ち着く。
まず、陰口がない。
陰口がないけど
今回は
私の方が愚痴を漏らした
そして
私と違うところは
年下なのに冷静だ
ラインも丁寧
丁寧すぎて
やっと名前で呼び合うように
なったのに
(あちらからは、さんづけ
)
まだ固い(笑)
私を立ててくれる
謙虚な人だ。
心が綺麗に戻った
気がする。
また、職場で会えるのが
楽しみだ



今日も、ありがとう。
私たちが
ちょっと家を出ると
すぐ義姉に電話する
義母。
で、やって来る
まあ、それも仕方ないが
(仕方なくない!!
)
困るのは
やって来た次の日は
必ず水が出しっぱなしの
自分のお茶碗
つけっぱなし。
おそらく
全てしてあげてる。
まだ、介護の段階でもない。
私は、できることは
まだ手を出さない
(
義姉は、介護職に
ついてた人だ)
だって
私たちが留守だったら
どうするの?
生活してるのは
私たちです!
と
喉まで出かかる言葉を
飲み込むしかない。
おそらく
私のことを
優しくないと思ってる
ことだろう・・・



今日も、ありがとう。

