奈良県の富雄丸山古墳。

長ーい剣や盾型の銅鏡が見つかり
話題騒然となりましたね😳
この古墳にどんな人が埋葬されていたのか
ワクワクしながら続報を待っています💕




直径110m前後の3段の円墳で、
4世紀後半に造られたと推定されています。
明治には石製品やハニワや銅鏡などが
発掘されたと伝わっているそうです。




それでね、
へぇー😲と思った事がありまして。

「北斗抄」という文書の中に
こんな一文がありました。

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安日彦と長髄彦が、
日向族の佐怒王に領地を奪われ
長い戦に負けたのは、
全て長髄彦の妹と婚じたニギハヤヒに
裏切られたからである。

ニギハヤヒの放った矢で
半死の傷を負ったとき、
妹の振辺姫(ふるべひめ)が
生駒山の富雄川の水で傷を洗い
長髄彦は死を免れたという。

これによって富雄川の郷に
眞癒身(まゆみ)神を祀り、
振辺姫の神鈴を
「一二三四五六七八九十」と振ると
死人も生き返るほどに霊験があると
長く地域の人々に祀られていた。

後世になって振辺姫は
ニギハヤヒ神に替神され、
社の後は長弓寺となった。
それでも今でも(元禄十年)
わずかに古い習わしが残っている。

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分かりやすく現代文にしてみました。

この「北斗抄」とは、
「東日流外三郡誌」と同じく
和田家文書のなかのひとつです。
本当か嘘かは分かりませんが
面白いなぁと思って読んでいます。

これらの文書は
ネットで気軽に見る事ができるので
興味のある方は見てみて下さい。




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