古都に残る西欧の歴史主義建築 奈良国立博物館本館 / 2018年秋 奈良の旅 その4 のつづき^^/
広すぎて…、誰もいなくて…、ビックリ@@;
鹿さんもいな〜い。
ひえー、朱雀門まで、遠い〜。
途中、電車が走ってる〜〜〜。
この広さ、ゆうに甲子園球場30個分だそうです。
平城宮跡歴史公園へ♪
何と立派な平城京!と語呂合わせをして遷都の年号を覚えた奈良の都。
その大内裏の平城宮は、文化庁による特別史跡平城宮跡保存整備基本構想に基づいて、全額を国が負担し、その姿が復元されつつあります。
奈良時代は遥か昔のこと。現代になってこの広い広い土地を国が買い取るのも大変だったのでは〜、と思いますが、ほとんどが、畑と田んぼで、建物はほとんどなかったのだそうです。
まずは第一次大極殿へ。
2001年(平成13年)から9年の年月を費やし、平城遷都1300年の2010年(平成22年)に完成しました。
古代の宮都における中心施設で天皇の即位や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われた場所です。
高欄には五行の擬宝珠。
丹塗りの柱に瓦屋根。
大極殿の壁面は上村淳之によって描かれた四神と十二支がいます。
天井は組入天井。
高御座(たかみくら)です。
高御座は天皇の玉座。
平城宮では、朝賀、即位礼、皇位継承の儀、外国からの賓客との謁見でつかわれたとされています。
帳には樹下双獣文がつかわれています。正倉院文様といわれる文様は西方由来。
ちなみに…、現在の高御座は、大正天皇ご即位の際につくられたもの。大正天皇、昭和天皇、今上天皇陛下、そして現皇太子殿下の御世代わりでつかわれることになります。
通常は京都御所の紫宸殿にあり、今上天皇のご即位のときは、自衛隊のヘリコプターで皇居へ移送され、大礼の儀の後は京都御所へと戻されています。そして来年10月22日の即位礼正殿の儀のために、9月に皇居へ陸路で搬送されました。現在は来年の儀式のために修復中です。
現在の高御座の柱間の帳には有職文様の小葵文。椅子には繧繝。延喜式によると椅子ではなく四角い台座の茵(しとね)であったとされています。椅子に繧繝文様がつかわれているのはその名残ではないかと。
話を平城宮へと戻します。
大極殿の扁額の額字「大極殿」は、「長屋王願経」からの集字によるもの。
この大棟中央飾りは法隆寺の夢殿の宝珠を参考にして復元したもの。
平城宮は、同時代の資料と古代建築の構造と意匠を解析し、遺構に合致する形態を摸索して復元されているのです。
そして、大極殿を取り囲む築地回廊、南門、東西楼が復元されつつあります。
現代ではクレーン車がつかわれますが、古代の人々はどれほどの労力と時間をかけて、どうやってつくっていたのだろう@@;;;
しかも、聖武天皇はその在位の間に、平城京→山城恭仁京→難波宮→近江紫香楽宮→平城京 と遷都を繰り返す…@@;
平城宮はとにかく、広い、広いのです。
なので、つづきます!
※本日(11月23日)、南門の木曳祭があり、宮大工の実演と講演会があるのだそうです。
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