照ノ富士に対しての失礼極まりない野次が論争を起こしています。

 

今でこそ相撲人気が吹返していますが、閑古鳥がなくぐらいガラガラだった本場所を支えてつづけてこられたのは、白鵬をはじめとした外国人力士の活躍があってのこと。だからこそ日本人横綱の誕生を喜び活躍を期待する気持ちがあるのはわからないでもないのですが…、千秋楽の照ノ富士への空気感はなんとも哀しいものがありました。

 

負傷をかかえながらも土俵にあがり真剣勝負に挑んだのは、稀勢の里だけでなく照ノ富士も同じ。「モンゴルへ帰れ」などという罵声をあげるような人は、本場所の出入り差し止めにすべきです。

 

取組に出身国は関係ありません。強いものは強い。

判定や昇進基準に国籍が影響するなどあってはならないことだと思います。

 

ですが大相撲の世界では郷里との強い関係性は重視されます。

それには、郷土の代表が郷土の期待を背負って土俵にあがっていたという歴史的な背景があり、そしてそれが悪いことだとは思いません。

 

現在でも番付には相撲部屋の名前はありませんが出身地は書かれます。取組では呼び出しが出身地をよみあげます。日本人力士に限らず外国人力士にも郷里への思いはあると思います。

 

それが表れているものに、力士の装いがあります。

照ノ富士はモンゴルの国旗の帯

 

魁聖はブラジルの国旗の帯

 

臥牙丸はグルジア(今はジョージア)の国旗の帯

こちらは、ジョージアの国旗と日の丸の帯

 

大砂嵐はエジプトの国旗の帯、着物にはピラミッドと日本の国旗の日の丸も。

 

相撲は外国人力士も髷を結い着物を着て日本語で話すことが求められます。生半可な気持ちではできないことかと。

遠い異国の地からやってきて日本の相撲界を支えてくれている力士に対して罵声を浴びせるなどもってのほか。そのうえで互いの故国を思う気持ちは尊重したいもの。

日本の国技である「相撲」が日本人だけではたちいかなかったというのは、日本の民族衣裳である「着物」が日本の絹(綿や麻もですが)だけではつくれない…という状況に通じるように思います。海外産のものだからといって悪いわけではなく、日本の絹だからといって素晴らしいというわけでもありません。それぞれに利点と欠点があります。だからこそ、産地をきちんと明示し、長所も短所も理解し補えるところは補って布にする。そして、それを着る側として知っていたい、と思うのです。

 

話がそれてしまいましたが…。

相撲も着物も日本人だけでは生き残れない。
この情け無さが今の状況を生みだしてしまったのかもしれません。
 

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