村井理子さんの連載「更年期障害だと思ってたら重病だった話」のエッセイで、7歳の時にカテーテル検査をした時の記述でこんな一文がありました。村井さんは「部分肺静脈還流異常」という先天性の心臓病を持ってこの世に生を受け、7歳の時に開胸手術を経験しています。
その一部分の記述がこれです。
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検査自体の記憶は一切残っていない。検査後の入院についても、どうしても思い出せない。もしかしたら幼い私が自分の心を守るために、記憶の削除をしてしまったのかもしれない。残っているのは、背中に感じる冷たい手術台の居心地の悪さだけだ。
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この中で-
検査自体の記憶は一切残っていない。
もしかしたら幼い私が自分の心を守るために、記憶の削除をしてしまったのかもしれない。
この記述部分に、私は敏感に反応しました。
私にも記憶が欠如した1年間があるのです。
それは中学3年生の記憶です。
私は中学3年生の時の担任に約1年間無視されていました。
今でいう虐めですよね。
初めはすごく可愛がってくれて、何かと声を掛けてくれる担任でした。
ちょっと熱血的な先生で、スポーツ好きの私に優しくしてくれていましたが、突然!冷ややかというか敵意を向けるような目で見るようになり、無視する態度に豹変したのです。
自分には思い当たることが何もなく、途方に暮れる日々でした。
風の噂では、私が所属していた部活の顧問と担任の先生が対立的で、1度もの凄い口論になったとの事。
だからその部活の部員である私にも敵意を現したのでは?というものでした。
学校内でこんなことってあるのでしょうか?信じられないような理由です。
1年間担任から無視されるのって地獄です。
母親に助けを求めましたが何もしてくれませんでした。(←これもかなり悲劇的で、後々まで助けてくれなかった母にも落胆し続けました。)
私はとにかく自分を殺して、感情に蓋をして、日々ただ生きていただけなのかもしれません。
友達とどんなふうに学校生活を送っていたのか、高校受験の勉強はどうなふうにしていたのか・・一切記憶がありません。
だから「自分の心を守るために、記憶を削除する」ってことはあるんだと強く思っています。
高校には受かり(ちなみに自分の希望する高校ではなかったようです。この高校受験用しか担任が内申書を書いてくれなかったそうです)卒業する時に担任に「1年間有難うございました。先生の事は忘れません。」と目を見て言ったのですが、担任は全然違う方を見て「おう」とだけ言いました。この時の冷ややかな担任の顔は未だに覚えています。
私は恨みの気持ちでその言葉を言ったのではなく、最後くらい目を見て欲しかったんですよね。恨みより、なぜ?って気持ちの方が強かったのだと思います。
1年間の学校生活の記憶は欠如しているけれど、卒業時の担任の顔は覚えているって...人間の感情と記憶って不思議なものです。
ちょっと暗い話になってしまいました。すみません。
何となく吐き出した方が楽になる気がして。