お届けしてきました「私の記憶に残る」シリーズ最終編。
「街・建物・風景など」。
日本国内様々な街を訪れ、それぞれの街の素晴らしさに触れました。
また、お蔭さまで、これまでに海外にも行きたいタイミング、行けるタイミングで行けたことは、想像さえ出来なかった「流行り病」の世界的流行下、幸運なことだったと思います。
と同時に、「その中でも特に印象深く、記憶に残るものを10挙げてみよ」と言われれば、こうなるのだろうなぁと。
お時間があれば、お付き合いいただければ幸いです。
なお、2021年のアメブロは、毎年恒例「今年印象に残ったワイン」の掲載が最後となる予定です。
日本・沖縄県・那覇市 「玉陵(たまうどぅん)」
具体的にいつとは言わない。
何度も何度も同じ「夢」を見る。
かつてそのような経験をしたことはなかった。
初めて沖縄への独り旅を試みる。
この場に立つ。
「前世」の記憶が鮮明に甦った。
日本・山口県・岩国市 「錦帯橋」
母方の祖先が岩国出身ということは知っていた。
叔母に「家系図」をもらったが、なかなかこの地に足を踏み入れる機会はなかった。
日本三大奇橋の一つとされる「錦帯橋」。
フォルムの素晴らしさに加えて、紅葉時期だったこともあり、本当に美しかった。
再建された岩国城から眺めた瀬戸内海の美しさには、どことなく懐かしささえ感じた。
☆ 自然の造形の素晴らしさを知る
日本・北海道・野付半島 「トドワラ」
初任地が北海道・釧路市だったので、まだ世界自然遺産などには登録されていない知床やら雌阿寒岳などを登山したり、長かったと感じた3年だったが、思い出してみれば短い3年。
釧路・根室管内を毎週のように旅する中で、最も印象に残っているのが「トドワラ」だった。樹木が生まれて、そしてその場で立ち枯れていく姿は、まるで人間のようだ。
もう30年以上足を運んでいないが、機会があれば、また立ち寄ってみたいものだ。
☆ 戦争の愚かさを知る
アメリカ自治領・サイパン島 「バンザイ・クリフ」
霊感の強い私は、ここへ向かうバンの中で、明らかに「軍歌」が耳に聴こえる。と同時に、車は故障した。
ガイドさんは「こんな経験は、この仕事を長くやっていて初めてだ」と動揺している。
それも仕方がないことだ。
同乗していた若者たちが、「サイパンてさ、どこの国なの?」と、自分が立っている場所さえ認識していない。ましてや、今、これから先どのような歴史的経緯があったのかなど、知る由もなかったことだろう。
代車がやってきて、何とか辿り着いたバンザイ・クリフ。
この素晴らしく青い海が、多くの日本人の血で染まったという歴史。
これから先の日本、一体どこへ行ってしまうのだろうと思いつつ、祖先、そして戦争で失われた多くの当時の敵・味方の皆さま方のご冥福を、心からお祈りしたのであった。
スペイン・コルドバ 「メスキータ」
ここに足を踏み入れ全てを見渡せば、約700年に亘ったムスリム支配、その先のレコンキスタ後のスペインというものが、十分理解できる。
スペイン・グラナダ 「ヘネラリーフェ庭園」
この庭園の素晴らしさは、小高い丘の上にありながらの「水」の利用方法にあるように感じる。
ナスル朝のイスマイール1世によって1319年に建築されたとされるこの庭園は、実際に観て歩いた者の心を奪うに違いない。
☆ カトリックという宗教を知る
イタリア・バチカン
言わずと知れた「カトリック」の総本山。
エネルギーを全く感じとれないのは、何故なのだろう。
しかしながら、多くの信者がここを訪れ、教皇に拝謁するわけだ。
人間社会が生み出した「宗教」というものが、「場」を形成することを悟る。
イタリア・ローマ 「サンタンジェロ城」
この古城は本当に勉強になったし、素晴らしい。
後日、後のモンテ・クリスト伯が14年間投獄されている場面を読むに際して、その場面がこの城を訪れたことによって、脳裏に鮮明に浮かび上がった。
スペイン・バルセロナ 「サグラダ・ファミリア」
ガウディの死からこのプロジェクトを続け、支えあってきた皆さんのご努力・ご尽力には、頭が下がるばかりであった。
あくまで「教会」なのであることを、見学するに際して理解しておくべきだ。
☆ 「ラシンバン LA心VIN」の原点
イタリア・アマルフィ 「フラヴィオ・ジョイアの像」
アマルフィ海岸の美しさは映画で有名になった。
また、ムスリム様式を取り入れたドゥオーモも美しい。
「紙の博物館」があり、初めてヨーロッパが中国と戦った際に連れてきた紙職人の技術が、ここアマルフィで役立つようになるまで何年かかったのだろう。
多くの気付きや学びはあれど、私がこの街に来た目的は、イタリア人の多くが信じている「羅針盤」の発明者であるフラヴィオ・ジョイア(Flavio Gioia)の像を撮影するためであった。
海洋国家であり、数多くの航海技術の発展に寄与したアマルフィだからこそ、フラヴィオ・ジョイアの功績は称えられるべきものなのだ。
彼に関する著書を読み、「LA心VIN(ラシンバン)」という屋号が即座に閃いた。
そうなのだ。
このフラヴィオ・ジョイアの像こそが、私にとっての「羅針盤」の中心軸なのである。