拓かれた時間の中で

拓かれた時間の中で

今日出会い、思い、感じたこと。一つでもよいから、「明日」の元気につながれば・・・。

おはようございます。

私のライフワークであった「宗教史」に関する新書が、

本日発刊されました。

多くの皆さまにご覧いただけますよう、願っております。

 

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私は「輪廻転生」を信じていますが、今ここにいる「魂」の役割は、前前世において堂々と世間に語ることのできなかった、まさに八世紀からのムスリム支配のスペイン、さらにはその前後の世界の構造、そして縄文時代の日本には存在したであろう「Clementia=寛容」を問うことを通じ、多くの人とともに想像して考えてみたい。それを書籍化し、なるべく多くの人たちに伝えることこそ、今世での私の本当の役割であると悟りました。

約45年間蓄積してきた私独自の視点から描き出した「稚拙な歴史観」に基づく妄想の類であることを、予め申し上げつつ、お読みになったどなたかお一人の気付きにつながればと願い、筆をとりました。

 

【目 次】

第一章 縄文時代とは何だったのか

1 一万七千年も続く時代とは

2 日本国内における交流の歴史

3 「鬼界カルデラ」の大爆発

4 大陸人との交流が日本に住む人々を変える

 

第二章 知っておくべき事柄

1 どの宗教に人は魅かれているのか

2 国家と宗教との結びつき

3 宗教により「利子・利息」の考え方は異なる

4 言語

 

第三章 ゾロアスター教からユダヤ教へ

1 人類初の世界宗教は、ゾロアスター教

2 ユダヤ教の教典

3 人を殺す神

4 救世主

 

第四章 神話、錬金術、そしてギリシャ・ローマ哲学

1 神話

2 錬金術とヘルメス・トリスメギストス

3 ピュタゴラスへの流れ

4 プラトン、そしてアリストテレス

 

第五章 イエス・キリスト

1 地母神崇拝

2 「聖母」マリア

3 パウロ書簡

4 イエスは笑ったのか

 

第六章 「カトリック」という宗教

1 ミラノの勅令とニカイア公会議

2 焚書坑儒が始まる

3 コンスタンティヌスの寄進状

4 カノッサの屈辱

 

第七章 七一一年からのスペイン

1 イスラーム教

2 イスラームにおける「錬金術」の発展

3 スペインへ

4 アルハンブラ宮殿

 

第八章 十字軍と騎士団

1 サンチャゴ・デ・コンポステーラの遺骸

2 十字軍

3 騎士団

4 ドン・キホーテ

 

第九章 初期ルネサンスの時代

1 暗黒の中世とウマニスタ

2 アッシジの聖フランチェスコ

3 神聖ローマ帝国皇帝・フリードリヒⅡ世

4 ポルトガルの独立から大航海時代へ

 

第十章 ルネサンスから近代へ

1 メディチ家、そして「宗教改革」へ

2 イエズス会

3 世界初の株式会社「オランダ東インド会社(VOC)」創設

4 考える葦

 

第十一章 排除と席巻のユダヤ

1 『ヴェニスの商人』

2 マイヤー・アムンシェル・ロスチャイルド

3 タイタニック号沈没

4 ウンベルト・エーコの「陰謀」について

 

第十二章 クレメンティア

1 イエズス会への拒絶

2 日本への浸食は続く

3 敗戦国日本の現実

4 クレメンティア

 

 

 

 本日、Amazonにて、私の第1作Wine Bar LA心VIN(ワインバー・ラシンバン)とそのお客さまたち発売開始となりました。

 ご関心がありましたら、是非お読みいただければ嬉しいです。

 なお、この書籍及び自作の執筆活動のため、今年の6月末頃まで、Wine Bar LA心VINは、前日21時までの「事前予約制」にて営業しておりますこと、ご不便をおかけしております。

 

 

ご予約は、こちらからお願いいたします。

 

1 小樽運河誕生100年と市民運動

 今年2023(令和5)年は、「小樽運河誕生100年」であることから、小樽市においても様々なイベントが企画されております。

 

 100年に至る経過として、1966(昭和41)年の運河の埋立てと倉庫群の解体を伴う「都市計画決定」がなされたことへの是非に対し、1973(昭和48)年「小樽運河を守る会」が、その後「小樽運河百人委員会」の結成。さらに1984(昭和59)年に「小樽再生シンポジウム実行委員会」、その翌年にはその活動を引き継ぐ組織として「小樽再生フォーラム」が設立されるなど、「小樽運河保存運動」は全国の市民運動の先駆けとして注目を集めました。

(小樽運河を浅草橋から眺める 2023年7月4日 渡辺幸宏撮影)

 

 

2 市民運動でも使われたシェーカー家具の行方

 小樽運河が現在の形になる前、現在の臨港線沿いに「小樽倶楽部」という喫茶店がありました(現在「小樽百貨UNGA↑」所在地)。

 

 その建物は、1894(明治27)年に小樽倉庫事務所が建築し、その後1983(昭和58)年に小樽市へと所有権は移転、同時に「小樽倶楽部」(当時、岐阜県清見村有巣から北海道に進出してきた「アリス・ファーム」(代表:藤門弘氏))が賃貸し、喫茶店として経営を開始しました。

【参考:1991(平成3)年に建物は、小樽市指定歴史的建造物に指定されています。】

 

 そこで使われていたテーブル、イス等の木製家具は、仁木町のアリス・ファームの工房で製作されたもので、ピューリタンの一派である「シェーカー教徒」によって産み出された「シェーカー様式家具」でした。

 

 喫茶店が開店した頃は、ちょうど運河保存に関する様々な会合が小樽市内各所で開かれて、地理的にも臨港線沿いにあったこの喫茶店の大型テーブルなどは、大人数での打ち合わせなどに打って付けで、そうした場面でも使われてきました。

 

 1989(平成元)年には小樽の菓子店・花月堂社長であった坂田榮子氏に経営委譲されましたが、2018(平成30)年4月末に喫茶「小樽倶楽部」を閉じることになりました。

 

 「小樽において歴史ある家具を何とか後世に残せないか」ということで、ちょうどその年の4月に国土交通省を早期退職し、「LA心VIN(ラシンバン)企画」代表となった渡辺幸宏氏が、11月に「Wine Bar LA心VIN」「レンタルスペース羅針盤」を開店する予定であるとの情報を得て、坂田氏から渡辺氏にそれらの家具一式が売却され、現在に至っております。

(Wine Bar LA心VINの2階「レンタルスペース羅針盤」)

 

 

3 シェーカー家具と小出あつき氏との出会い

 小樽で由緒ある「朗読サークル語ろう会「あおばと」」講師して「レンタルスペース羅針盤」に立ち寄った歌い手である「小出(こいで)あつき」氏は、その音響とイギリスのピューリタン発祥のシェーカー家具にインスピレーションを得ました。

 なお、「ピューリタン革命」は、1649年のイギリスにおける共和制を樹立したクロムウェルが熱心なピューリタンであったことから発生したことは、一つの歴史的事実です。

(小出あつき氏 プロフィール写真)

 

 

4 「Download Dowland」の開催

そうした経緯を踏まえ、16世紀から17世紀にイギリスで活躍したリュートの巨匠であるジョン・ダウランド(1563?-1626)の曲を中心に「Download Dowland」というタイトルで、小樽市「レンタルスペース羅針盤」において、7月8日(土)に、ソプラノ・小出あつき氏リュートには世界的演者である高本一郎氏CD多数発売をお招きして公演を開催いたします。

 公演は13時から14時まで16時から17時までの2回。各回3,000円。(お申込みは、時刻部分をクリックしてください。)

 

 なお、この公演に併せて、会場1階「Wine Bar LA心VIN(ラシンバン)」では、同日12:15から17時までの間、「イギリスワインを楽しむ会」(泡・白・赤3種)2,000円を開催いたします。こちらは、公演参加者以外の方も、ご自由にお楽しみいただけます。

 

 さらに、廃止となった国鉄・旧名寄本線 渚滑(しょこつ)駅で、かつて、祖父が製造販売していた名物弁当「帆立めし」を、その孫であるバタフライエフェクト代表・廣川まどかが今年復刻しました。

 その「帆立めし」を、上記イベント中に札幌以外では初めて、小樽にて販売することになりました。

 こちらも、どうぞよろしくお願いいたします。

【参 考】

※    ジョン・ダウランド(John Dowland:1563?-1626))

イングランドのエリザベス朝後期及びそれに続く時代に活動した作曲家・リュート奏者であり、エリザベス朝前後に流行したメランコリア(憂鬱)の芸術の巨匠です。

Stingがダウランドの楽曲を録音した『Songs from The Labyrinth』(2006年)は、有名。

 9月26日(土)の夜、NPO法人「炭鉱(やま)の記憶推進事業団理事長・吉岡宏高先生がお亡くなりになったという報道に、接した。

 先生は、私よりも1学年下であり、誰もがパワフルと感じるエネルギッシュに溢れた存在であった。

 59歳という、本当に若くしての訃報であり、非常に残念である。

 

 吉岡先生と私との出会いは、恐らく2009(平成21)年3月のことだったと記憶している。

 まだ北海道に総合振興局制度が出来る前年だったと思うが、当時の空知支庁が「炭鉱(やま)の記憶」プロジェクトを支援し、私が国土交通省北海道開発局札幌開発建設部の職員であったときに、その支援する最後の会合にオブザーバーという立場で参加したときであった。

 オブザーバーという立場で国が参画している意味を、余り理解できないでいたのだが、私よりも早くして離職したある部下から助言を受けた。

 「渡辺室長。何より吉岡先生との人脈を構築しておくことが大切なので、是非参加してください」という、今となっては本当に奇跡的な助言を部下からもらった。

 

 最後の会合に参加するとはいえ、参加する以上は「国」の立場として有益なアドバイスの一つでもしなければならないだろうと、北海道における炭鉱開発の歴史を一週間かけて勉強し直してみた。

 結論から言って、直観的に、空知地方だけでこの活動を進めていては、前に進めないだろう、と。

 国の職員は、文字通り一つの地方に賦存する「資源」を、国家的観点から有効活用するという面的・複眼的な視点で仕事を進める必要があり、そう考えれば、空知の炭鉱の歴史が、日本という国家全体の開発に寄与してきた歴史を、実証的に説明する必要があるだろう。

 掘り出された石炭は、どのようにして本州に運ばれたり、資源として活用されてきたのか。

 そう考えれば、自ずと鉄道や港湾といった社会資本との関連性を想起するわけで、実際に曲折を経て鉄路で運ばれ、小樽港から本州へと搬送されていた歴史があった。

 私が会議でお話しさせていただいたことは、「例えば、小樽港との連携など、複眼的に炭鉱の歴史を捉えていくことが必要なのではないか」という一点であったと思うし、その後名刺交換させていただいた吉岡先生には、そのことを強くお話しさせていただいた。

 

 このことが一つの契機となり、私は、様々な立場で、そのことを主張させていただく機会を得た。

 マガジンハウスさんの"web dacapo"では空知小樽と連載にて、また、2009年に開催された「おたる遊幻夜会」のパンフレットにおいてなど、職域を超えて個人の立場としても広く主張させていただいた。

  (「おたる遊幻夜会」のパンフレットから)

 

 そうした声を参考にしながら吉岡先生は、小樽、さらには室蘭の「鉄」をも取り込み、その翌年2010年には「炭鉄港(たんてつこう)」プロジェクトを推進し、2019年には見事「日本遺産」として認定されるに至った。

 

 その吉岡先生と再会したのは、私が北海道開発局の職員研修に携わることになり、先生を地域振興に関する講師としてお招きすることになったときであった。

 「いやー渡辺さん。お元気で何より。その節は、お世話になりました。」という会話から始まり、最後には「お互い、健康に留意して過ごしましょう」と、Facebookにて私が病気がちであることを知っていたから故、かけていただいた言葉が、まさか最後の言葉になってしまうとは。

 (空知の炭鉱遺産の活用は、史実を後世に残すためにも重要。)

 

 当時の北海道庁は、支庁ごとの垣根を越えて仕事をするという発想にはなかったように、あくまで個人的に感じていた。

 だからこそ、空知だけで考えていては前進できない課題をブレークスルーさせることは、国の職員としての責務なのだと、当時私は認識し、行動してきた。

 北海道における「ワインツーリズム」しかり。

 日本における「ワインツーリズム」という言葉は、山梨が商標登録を有しており、北海道でそれを進めるに当たって、コンセプトの擦り合わせ、共有が必要だろうし、相互の信頼関係を醸成しつつ将来へ向けて進めていくことが大切だと、当時私は思い、そこに歯車の一つとして参画させていただけたことは、光栄に思っている。

 

 思い起こせば、「北空知は旭川や留萌との生活圏域を形成している」という、当時の深川市長のご意見を踏まえ、留萌支庁、上川支庁と連携した「広域圏域研究会」を立ち上げようという話を進めようとしたとき、両支庁の担当課長に猛反対された。しかし、その数か月後、当時の「高橋知事からの意見を受けて」と聞いていたが、留萌支庁から逆に「お願いするので留萌港の有効活用プロジェクトに、参画してもらえないか?」との提案をいただいた。

 支庁と支庁という垣根を超えた意識は、例え二重行政と批判されようとも、国が積極的に発想を提示し、調整、アドバイスしていくことにより解決されていくことなのではないかと、もう10年以上も前の出来事になるが、回想している。

 

 国家公務員であることの自覚を有した発想、事業への関わりを、一層大切にして仕事を進めて欲しいと、今は後輩たちに願っている。

 未曾有の少子高齢化の加速による地方の疲弊が、既に進行している中、国として地域やそこに住む人たちの営みを正確に直視した「現実」を見据えた政策を展開してもらいたい。

 恐らく、吉岡先生が、機関車のように疾走してきた「炭鉱」への強い思いは、国家公務員として見習うべき生き方の一つであったのだと、私は思う。

 吉岡先生の本当に突然の訃報に接し、心から哀悼の意を表します。

 安らかにお眠りください。

  コロコロ休暇後、小樽商大の学生さんが一人で店に足を運ばれることが増えました。

 

 先日も、「札幌に帰ろうと思ったのですが、人身事故で電車が止まっていたので、前から来てみたいと思っていたので寄らせてもらいました」と、ご丁寧に挨拶をいただきました。

 ちょうど現代アート作家の某先生がご来店していて、話をしていると偶然にもご近所とのこと。

 しかも、彼は一昨日が20歳の誕生日とのこと。

 盛り上がり、3人でスパークリングでお祝い。

 

 それにしても、うちの店に一人で来店するということは、敷居が高いと自覚している人を除き、大人でも結構勇気がいることのようですが、冷静に考えてみると、そういった若者たちには、「ある共通点」が存在すると思っています。

 

 まずはしっかりと自己紹介ができること。

 何より、自分が体験したいことに素直に挑戦し、体験したことを素直に受け入れること。

 自分にとって将来必要となるべき科目を、しっかりと目標を達成すべく勉強していること。

 親の財布に頼ることなく、アルバイトをして、自立していること。

 本物を志向すること。

 周りに流されたり、群れないこと。

 周囲への気遣いが、自然にできること。

 こうした若者たちと話をしていると、実は日本の将来は暗いことばかりではないのではないかと、多少の希望を抱きます。

 

私の息子たちは、彼ら、彼女たちと同じ年齢のときに、彼らにとっては予期せぬ不幸を味わい、父親との関係性もすっかり変わってしまったことには、率直に申し訳ないことをした。

そうしたことも、未だに頭によぎります。

 「成人式で地元に帰るんです❣」という女性には、「このワイン、お父さん確かワイン好きだったと聞いていたので、持って帰って、一緒に飲んでみるといいよ」と、さりげなくプレゼントすると、「勿体ないので、父には一口だけで、私が飲みます‼」と。

 

 それで良いのです。

 親元を離れて地方で学ぶその子たちの父親にとっては、彼女が周囲とどのような関係性を築いているのか、そうしたことを通じて理解し、安心してくれるだろうから。

 自分の息子たちに出来なかったことを、わざわざ「小樽にあるワインバーに行ってみたい」と通ってくれはじめる若者たちに、せめて自分の出来ることをしてあげよう

 

 そうしたことが、月に一度でもあると、エアコンですっかり冷え切った心と身体が、気付かずに柔らかく温かくなるのでした。

そんな翌日、店の壁伝いの蔦に、黄色い花が咲いているのを発見すると、涙さえ零れる還暦間近の自分がいたりしています。