台湾では中国語のことをなぜ「国語」と言うのか | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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台湾で中国語を話し「你國語講得真好!」と褒められる(お世辞を言われる😅)経験をしたことのある方は多いだろう。そう、台湾では中国語のことを「国語」と言う方が多いのだ。それはなぜか。


 


台湾の「国語」の歴史を見てみよう。日本の植民支配が始まった1895年当時、台湾にはまだ「国語」というものはなかったが、日本では「国語」としての日本語の形がすでに出来上がりつつあった。それをそのまま台湾に持ち込み、植民地統治の手段に利用した。




1945年の日本敗戦以降は、中華民国の当時の「国語」、すなわち標準中国語が日本語に置き換わる形で台湾の「国語」となった。こちらの「国語(中国語)」の歴史も見ておこう。




中国大陸では1910年前後から「国語」「国字」「国音」といった用語が使用されるようになった。1910年に清国資政院議員の江謙という人が「官話」を「国語」という名称にするよう建議書を提出したのだそう。それが中国で公に「国語」という名称が使用された初めての文書と考えられている。




そしてその「国語」は中華民国期の1920~30年代に原型がほぼ完成し、現在の標準中国語のベースとなった。(実は中国の「普通話」の歴史は意外に新しい。中国でも「普通話」が定着するまでは、「国語」がいわゆる標準中国語を表す言葉だった。)




その「国語(中国語)」を1945年に台湾に持ち込んだのが国民党。新しい「国語」は国民党の強権的政策によって早々に普及し、公用語として、そして公教育機関の教育言語として、広く使用されてきた。台湾語や客家語や原住民諸語でなければ「国語」。その呼称が習慣化されて今に至っている。




つまり、中国では中華人民共和国成立後、漢字は簡体字となり、注音符号は漢語ピンインに変わり、「国語」も「普通話」となったが、台湾では何も変わらなかった、ということなのだ。国民党が我が党こそ、中華民国こそ、中華文化の伝統の真の継承者だと胸を張るのはそういうことなのである。




ただし、民進党は「国語」という言葉はあまり使いたくない立場である。理由の一つは、その「押し付けられ感」。二度の「国語」転換が強制され辛酸をなめさせられた台湾の暗い歴史。台湾語や客家語や原住民諸語を母語としていた台湾の一般の人々には、なじみも何もないまるで外国語のような「中国語」が、戦後突然「国語」として君臨し、自分たちの母語が劣等であるかのような扱いを受けた悲しい記憶。


それが昨日書いた《国家言語発展法》につながっってゆくのだ。